Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

何かを始めるための根

オーストラリアに植生する「バンクシア」という植物の種子は非常に固い袋果という殻に覆われている。この種子は普通に地面に落とされても袋果が朽ちて芽が出ることはなく、発芽のチャンスは山火事の時だけ。


全てのものを焼き尽くし灰燼に帰する炎が、パンクシアにとっては次代にバトンを継ぐ生まれ変わりのチャンスになるというのは非常に興味深い。


全てのものを焼き尽くす炎に包まれることが、自分を覆っていたヴェールを外し、内包された力を覚醒させる機会になる点では、人間も似ているところがある。


キャリアの世界の用語で言えば、全てのものを焼き尽くす炎は、「トランジション」と言い換えられる。トランジションは、これまでのことが断絶する屈曲点となるイベント。それは、主体的に起こすものもあるし、受動的に起こるものもある。


トランジションは、「何かが終わるとき」「中立期」「何かが始まるとき」の3段階がある。ここで大事なのは、終わるということは何かが始まることと同義だということ。終わらせられていない人は、何も始められていないということなのだ。


先日、キャリア研修の講師をあるメーカーに行ったのだが、そこに見たのは「終わるもの」に固執し、ネガティブな感情を醸し出している人たちだった。


僕は、自分らしさを軸に自ら終わらせる意思決定を何度も行っている。一方で、彼らは人に与えられた機会を去来する想いをぐっと飲み込み、受け入れることを綿々と行っている。すると、終わりを認識しても「始まり」の根になる自己概念があやふや。結局、何かを会社に決めて言って欲しい…というスタンスが終始渦巻いていた。

 

2つの選択肢があったら、大変な方を選ぶといい、という哲学は内包された自分の力を覚醒させる転機を自ら創り出せ、という捉え方。そして、自分の人生を生きるための普遍的な法則ともいえるのだろう。