「毎日は君のせいじゃなく 汚れていても
落書さえ雨にうたれて 時に流される
正確に時を刻むものが あるとするならば
心やすらぐ君のリズムは かみあいはしない
街のどこかで 誰かのクラクションが泣いている
間違いが君の心を 孤独の世界にしても
ほらごらん 全てが君のものなんだ」
(誰かのクラクション 尾崎豊)
自分のことより、相手の気持ち。ちょっとした変化に気づき、耳を澄ませる感受性を持った人においては、効率性、結果重視の世の動きは、噛み合わないことが多いのです。
誰もが求めているのは、愛であり幸せ。
組織の論理に身を任せて、効率性や結果を出しても、心は刹那にしか満たされない。それより、お互いのことに関心を持ち、優しい声をかけてあげる、他愛もない話に花を咲かせる。一見無駄のように思えることが、どれだけ心を豊かにしてくれることか。
今日は、ちょっと悲しいことがありました。
なぜ、心美しく感受性の高い人に、心無い言葉を投げつけるのだろう。権限をかさに恐怖で縛ろうとするのだろう。それは、人が人に対して一番やってはいけないことだと思うのです。ましてや、人材に関わるサービスをしている人においては。僕のもとにいたら、絶対そんな目に合わせやしません。
柔らかく敏感な心は、傷つけられたらなかなか回復しません。心なく投げかけた言葉が、当人においては記憶とともに蘇り、何度も傷つけるからです。その人を笑顔にすることができたら、どれだけ周りの人が明るく癒やされることか・・
早く笑顔を取り戻してくれることを祈っています。