Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

LonelinessとSolitude

LonelinessとSolitude・・・日本語に訳すと「孤独」となってしまうのだけど、二つの単語が意味する世界は、全く異なっている。


Lonelinessが、周りから受け入れられない、理解してもらえない時に感じる寂しさを意味するのに対し、Solitudeは、独りでありながらも喜びや安らぎや安定感を得ている状態。Solitudeにはネガティブな色は全くない。むしろ優美で豊か。訳語としては孤高という方が相応しいのかもしれない。


効率性重視で心が置き去りにされる世の中にあって、Lonelinessを感じる人はとても多い。そして、Lonelinessは確実に心を傷つける。そのままで居続けると鬱などになってしまう。


Lonelinessを抱えた人の中には、その状態を解消するために仲間を探し心を癒そうとする人もいる。でもいくら、悩みを抱えた仲間とつるんで遊ぼうが飲もうが、Lonelinessは一向に解消されることはない。Lonelinessは、独りでいることがもたらしているものではなくて、深い心のつながりが欠如していることから発生するのだから、表面的につるんでいてもダメなのだ。


「Lonelinessを解消したいのであれば、いつも仲間と一緒にいることではなくSolitudeの時間を持ちなさい。現代人にはSolitudeの時間が足りないのです」イシドロ神父はそう説いている。

仲間と飲んではしゃいでも、自分の心の置き所を見つめ心を整えていくことは出来ない。禅は、Solitudeになるための所作であり。僕にとっては、長距離を走り続けることや、教会で音楽を聴きながらお祈りをすることがSolitudeのための時間ということになるのかもしれない。

また、村上春樹さんの作品は読み手をSolitudeにさせる作品ともいえ。それゆえに支持する人が多いのかもしれない。


僕は感覚的に、仕事ですれ違いや上手くいかない時が続いたときに。誰かと飲み行ったり遊びに行こうかと思う気持ちは昔から全く起きないのです。それより、一人で庭園を見ていたり、落陽を見ている方が好きなのです。


それは、自身の人付き合いの悪さや偏屈さなのかしらと思っていたのだけど。最近、案外それが自然な事なのかもしれないと思うようになった。


とはいえ、Lonelinessが相対的な世界に身をゆだねることから起きる気持ちであり。Solitudeが、絶対観を基軸として確立される自立の世界なのだとすると。依然としてSolitudeの時間が足りない・・と思うのだけど。