Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

陰翳の美

夏の強い光線に照らし出された景色がすきだ。特に、木々や建物の陰に覆われた小径の向こうに鮮やかに照らし出された奥の間の眺め、煌めく海や夕陽が見えたりしたなら、最上である。


明るさの美を堪能するなら、自らを闇に置いた方がいい。この観点に立つと、昔の日本家屋は陰翳の美を殊更意識して作られていたことが分かる。例えば、素晴らしい日本庭園を望む数寄屋造の居間は、当然ながら薄暗い。そこに佇んで庭を見やると、外に出て庭を見るよりも遥かに美しいのだ。


同じ事は人にだって言える。いつも愛想を振りまいているアイドルなんてのは、美意識に欠けるのだ。それどころか不自然で気持ちが悪い。それよりも、深淵な暗さを内に秘めた人が見せる微笑みの方が、遥かに磁力がある。それは、鬱蒼とした木立に覆い隠され、水面を覗き込むと底が見えない深遠さを湛えた池が、森全体の神秘さを醸し出しているように。


若いときの斉藤由貴さんは、そんな感じがする女性で、かなり好きだった。当時のドラマは、不自然に明るさが強調されている感じがして全然見ていない。写真や歌、ラジオは、暗さの片鱗が見え隠れしていて好きだった。小説に至っては、内面の暗さがかなり滲み出ていた。


暗さというのは、孤高を愛する部分だったり、物事や自分を冷静に見つめる内省的な所、どこか猥雑で残酷な部分をない交ぜにしたような雰囲気なのかな。


予定調和を大事にする同性においては、こういう人は虫が好かないって写るのかもしれない。でも、陰翳の美に人が惹かれるというのは、本能的なもの。とはいえ、日々の暮らしにおいてはコントラストの強さというのは時に大きな障害にもなる。この辺は難しいですね。