祭りといえば、縁日の屋台や踊りを連想する人も多いだろうが、僕にとっての祭りは神輿だったりする。N嬢に住吉神社の祭りの報を聞いたときも、思い浮かべたのは神輿だった。妻と娘と一緒に出たのだが、縁日にいくんじゃないのという始末。神輿を見に行くんだって…
佃・月島で催される住吉神社の例大祭は、江戸時代からの歴史を汲む由緒ある神輿が町内を巡るお祭り。住吉神社は、大阪住吉区にある住吉大社が本山で、江戸の遷都の際に大阪住吉の住人が家康から江戸に住む許しを得た際に与えられたのが佃だったところが発祥。
住吉大社に祭られている神様は、海の神様で14代天皇の皇后である新功様が祭られている。彼女は朝鮮新羅遠征を行った勇敢なジャンヌ・ダルクみたいな人で、海で仕事を行う漁業、海運業の人たちにおいてはとても大切な存在。
佃には当初漁師の人たちが拠点を据えたわけだけど、200年後に佃に日本の造船業の雄である石川島重工業ができたのは、ある意味必然だったのかもしれない。たまたまかもしれないけど、義父は海運業に関わっており、佃大橋が架かる前の石川島に材料を運んでいたそうだ。
祭りは僕が思い浮かべるよりも遥かに勇壮で活気があり、街中が神輿とともに一体となるお祭りだった。神輿は街を掃き清める意味があるので、主な道をくまなく練り歩いていく。
月島で生まれ育ったN嬢においては、この祭りは生まれた町とともにあり、神輿も昔から担いでいたのだとか。とはいえ、この神輿担ぎたるや重さも歩く距離も半端がないもので、1ターム2時間ほどの行程を午前と午後で2セット2日間こなすというタフなもの。若い担ぎ手や人手が多くいないととても成り立つものじゃあない。
それこそ石川島播磨重工が工場を撤退し、人口が減少し高齢化していた90年代辺りは、大変だったであろうと想像できる。
僕は運がいいことに彼女が担ぐ月島三の部の神輿を見ることができた。神輿の先頭で四方からの水掛けに笑顔で応える彼女の様子は、月島の看板娘たる明るさ。仕事の中でも見せていた底抜けの活きの良さは、まさにこの街で育まれたもの。
それにしても、たまたまお昼をとった洋食屋さんで、このお祭りは何も出ていなくて御神輿だけなのね…と言っているおばさんがいたのですが。なに言ってやがんだい…と。
このお祭りは、日本に来ている外国の方にこそ見てほしい。歴史の繋がりの中にある東京が感じられますから。