Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

東京にあった居留地

外国人居留地というと真っ先に思い浮かぶのは、横浜山手、神戸三宮だったりするわけです。ところが、聖路加病院を擁する中央区明石町、湊町には『居留地通り』という通りがあります。今の僕が住んでいる新川のお隣です。

 


今や当時の面影を残す建造物は、レーモンドが設計した旧聖路加国際病院病棟くらい。ですが調べてみると、明石町一帯は、江戸幕府時代に外国人居留地として広く指定された場所であったようです。

 


このためでしょう。日本における著名ミッション系スクールの発祥地はこの小さな明石町に集中しているのです。雙葉学園、青山学院、立教、明治学院関東学院、女子聖学院、暁星学園…これらは居留地にやってきた宣教師が創った教育機関だったりするのです。しかしながら錚々たる顔ぶれです。

 


こうした中で聖路加病院は、明石町居留地におけるシンボリックな存在であり、東京大空襲のターゲットからも外されます。米軍としては、占領後の活用も想定していたようです。(実際に戦後はGHQによって接収され米国陸軍管轄の病院になります)

 


果たして聖路加国際病院は、1945年3月10日の東京大空襲で被災を免れ、月島や佃もその恩恵を被ることになりました。月島に戦前からの街並みが残るのは、聖路加国際病院のお陰といっても良かったします。恐らくそのことを知る月島の住民においては、この病院に対する並々ならぬ感謝と畏敬の念があるように思います。(産まれた病院という理由だけではない)

 


先日、昔から月島に住んでいるN嬢が『ここの人たちは、聖路加に対する思い入れが強くある…』と言っていたのですが、歴史を紐解くとその理由が良く分かりました。それにしても、明石、湊、月島、佃、石川島は見事に爆撃から逃れています。

 


戦後において石川島は造船業で高度経済成長を牽引し、月島、明石町もその恩恵を受けました。そして、聖路加国際病院は接収解除後は独立系病院として日本で最高峰の医療を提供する先端機関であり続けています。そのルーツは、江戸幕府居留地にあったというのは非常に面白い史実といえます。

 

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