Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

時間を越えた恋物語

漫画「ドラえもん」には星野スミレというアイドルが何度か登場してきます。のび太ドラえもんも大ファン。彼女はアイドルという顔を持ちながら、実はドラえもんの前作である『パーマン』の3号でパー子という設定だったりします。


彼女は人気の小学生アイドルでありながら、自分を特別視しないで普通の女の子として見てくれるミツ男に好意を寄せています。ただ自分の素性を明かすと、スミレのファンであるミツ夫もこれまでのように自分を扱ってくれないのでは無いか・・との思いから自分の素性も好意も一切ミツ男に明かそうとしません。むしろ、喧嘩ばかり。


原作では二人の仲は縮まることは無く、ミツ夫が地球を離れバード星に飛び立つことで最終回を迎えます。後のアニメーションでは設定が変更となり、パー子が自分が大事にしているものをバード星に旅立つミツ夫に明かすというシーンが登場します。


彼女は、ミツ夫に『自分が大事にしているもの』として手鏡をプレゼントするのです。手鏡をミツ夫が覗くとそこに映っているのは自分。彼女は、自分の好意を粋な形で伝えようとするのです。そして、アニメーションに合わせて藤子F不二雄先生も追加のエピソードを書くのです。


後作品のドラえもんでは、大人になった星野スミレが登場します。彼女はそこでこう言います。自分には好きな人がいるけど、その人は遠いところに住んでいるのだと。彼女が大事にしてるペンダントの写真には小学生の時のミツ夫の写真。

 

僕はドラえもんは読んでいたけど、パーマンはアニメでしか見ていないのです。しかもきっちり見てない。今頃になって知ったのですがこういう演出はぐっときますね・・久しぶりにドラえもんが読みたくなったな。

f:id:ishibahomare:20220414220629j:plain

 

谷戸のトンネルを抜けるとそこは

養老孟司さんの自宅は鎌倉駅から北鎌倉方面の線路沿いに歩いて20分ほどのところにある海蔵寺のさらに奥のところにあります。海蔵寺までは普通に歩いて行けるわけですが、その奥にある岩をくりぬいたトンネルをくぐり、さらに山を登った谷戸の奥の一番高いところ。その邸宅の様子はたびたびNHKでも特集されるので、目にした方も多いかと思います。まあ、世俗とはおおよそかけ離れた自然に囲まれた素敵な場所です。

 

 

 

この辺は基本的に代々土地は寺が所有しており、それが景観の維持にも繋がっている。いわゆる借地権の場所な訳です。

 

 

 

ちょうど1年半前のことでしょうか。養老先生の邸宅にほど近いところの古家が売りに出されていたのです。鎌倉好き、養老先生マニアの妻がめざとく見つけ、とにかく見てみたいというので行ってみることに。

 

 

 

案の定に谷戸の道はとにかく狭く、ボルボで家の横に付けるのは一苦労。特に狭い岩をくりぬいたトンネルを通り過ぎるのに難儀。軽自動車でもなければとても車など乗れたものじゃあない。帰り道では危うく脱輪一歩手前。みんな冷や汗…

 


でもそこは自然に囲まれた広大な日本庭園を擁し、古いながらも上質な木材を使って立てられた家。築は70年くらいは経っていそうですが、丈夫そうな家です。玄関のたたきに置かれた味のある踏み石。上質な古民家の表顔です。

 


住んでいた人は高齢の女性。娘さんが管理をしてたものの、母親が施設に入るためにこの家を手放すようでした。部屋には、先立った旦那さんの本棚。息子さんの面影が残る部屋。残された本を見ると歴史や東洋美術に関心が深かったインテリ人であることが伺えます。

 

 

 

環境は抜群ですが、年寄りが長年手入れもせずに住んできた家はかなりな手直しが必要。でも何より養老先生と猫のまるのご近所さん。とにかくこの家に住めないものか…熱くなる妻がいる。一方で僕や子供たちは引き気味…

 


駅から遠い。家が相当に古い。それより何より、借地権では住宅ローンが組めないので即金で買えなきゃ駄目なのです。

 


あの『バカの壁』が売れに売れた養老先生みたいな人が買える場所なんだぜここは。平民に手が出せるような場所じゃあないんだ。この家を手にするためには、今の家が高額に売れて即座に現金化されないとな…それでも無理だろう…銀行に代わるスポンサーいれば別だけど。

 

 

 

不承不承に妻は諦めることになったのですが、鎌倉というのは谷戸の奥に行くとそれはそれは素晴らしい自然が残されている…しかもそれは誰もが行ける場所じゃなくて、住んでいる人のみが行ける場所。こういうところに住んでいたら、都会は住むところじゃないと養老先生が言うのも確かに分かるわな…とつくづく思ったのでした。

新人研修の講師をする

僕らのファームに入ってきた新人たち18名。それぞれ研修科目を受け持つわけですが、僕も組織・人事系のメニューとして『Change Management』を受け持ち、講義を行ってきました。

 


ちょうど娘も新人研修中な訳で。子供と同じ年端の人たちに研修なんかをする立場になったわけです。もう僕が新人研修を受けてから、29年もの時間がたった訳なのですよね…

 


自分の経歴を紹介したとき、最初に入ったPriceWaterhouseは社員数は140名くらいで同期は23人だったんですよ…と話したら、皆さん結構驚いていました。

 


スライドは多く作ったのですが、基本は対話をしながら意見を受けて返す形式。

 

 

組織を変えることと個人の習慣を変えることは、同じように難しく正しいと分かっていてもできないこと。とはいえ、意識や習慣を変えるための心理学の理論は、組織を変えていくメカニズムにおいても同じように適用できること…

 


例えば7つの習慣に出てくるフレームとJコッターの企業変革の手法のこの点は同じ。

 


みずほがシステムで失敗したのは、マッキンゼー7Sフレームワークでいうところのウォームスクエアの問題であり、チェンジマネジメントに失敗した典型であること。

 


チェンジマネジメントに成功したリーダーとして思いつく人は?との問いに、S・ジョブズと答えてくれたので、彼がShared valuesを一新させた取り組みを知っていますか?と聞いたのですが、ThinkDifferentキャンペーンのことを知っている人はいなかった…

 

考えたら、ちょうど彼らが生まれた頃の出来事だったりするんだよね。たまにこういう場を持つと楽しくていいですね。

穴を見つけ、穴を埋める

仕事は平たくいえば『穴を見つけ』『穴を埋める』こと。採用面接では、『どんな穴』を『どう埋めたのか』、あなただったらこの穴をどう埋めますか?ということを聞きます。

 


残念なパターン

 


①今の会社で『穴』を間近で見ているのに、自分なりにどう埋めるかを考えようともしない

②局面、状況が違えどワンパターンの埋め方しか考えられない

③そもそも穴の存在など考えたこともない

 


埋めるべき穴や埋め方について興味関心があり、自分なりに考えられる人でないと到底戦力にはなりません。入れば誰かが教えてくれたり、身に付けられる訳じゃない。これは問題意識と言い換えられるかもしれません。

 


野村克也さんはこう言っています。

 


伸びる人間は、野球選手であれ一般人であれ共通している。感性が鋭く、問題意識や明確な目標を持ち、努力することをいとわない人間である…と。

 


目の前にハッキリと見える穴を決まったやり方で埋める仕事は価値が低い。一方で、見えない穴を見つけ、誰もができない独自のやり方で埋める仕事は価値が高い。

 


マニュアルやメソッドをマスターすればできるような類いであれば、今どきはネットを探ればいいだけですし、AIやロボットに任せられるだけの話ですからね。

軽くなった背中

4月1日の大きな変化。それは3人の子供たち全員が扶養から抜けたこと。これまでは当たり前だったことが日にちの切れ目とともに無くなったわけです。

 


僕は、家族や子供のために働いているという感覚をこれまで持ったことがありません。自分自身の成長、好奇心の充足をメインドライバーとしてきました。とはいえ、仕事の選択においては家族が重要な要素であったことは確かです。

 


20代半ばで結婚をし、すぐに双子が生まれ時を経ずして3人目の娘も誕生。30代は育児に終われ、40代はかさむ教育費の中で家計のやりくりをする妻と頭を悩ませることもしばしば。でもどうにか何とか凌いで来たわけです。

 


急に軽くなった背中に少々違和感を覚えつつ、子供で学生の僕としては、いよいよ自分のために働くことを愉しんでいきたいもの。

 

 

 

『仕事が好きといえるお父さんって珍しいよ…周りにそんな人いないもの』

 


でもそういう人が少しでも増えていったら幸せな社会。社会人になった子供たちにも楽しんで仕事をすること、そこに対し諦めないことはこれからも伝えていきたいですね。

健康事情のはなし

僕のいるところは設立から10年も経っていないベンチャー。ボードメンバー陣は僕より年齢は下ですし、会社全体の平均年齢も30代前半で非常に若い組織なわけです。

 


先日、戦略会議を行った後に飲み会に行ったのですが、そこで繰り出された話題は意外にも健康の話。

 


・尿酸値が基準値を大きく超え、いつ通風にならないかヒヤヒヤしている

脂肪肝と言われて、γ-Gptの値が悪く禁酒を言われている。疲れやすくて仕方がない。

・眼圧異常があり、視神経が減少していると言われている

・コロナで長期入院を余儀なくされたこともあり、問診ではかなり執拗に状態を聴かれた

 


などなど。40代ともなると体にガタが来るタイミングなのかしら…少し早くね?

 


それぞれにまだまだお子さんの年齢も小さい。健康を維持して長く働いていくには、かなり気を遣った方がいいのだろうな…そもそも何も対策を行わずして維持や改善が図れるものなど何一つないと思うのです。

 


僕においては、血中コレステロールがやや高いくらいで、健康診断で指摘された点は無かったわけですが。先日の健康診断での便潜血の指摘にはちょっとビビりました。

 


そして、今回も首こりから来るめまいによって、当たり前の日常が当たり前に来なかったりすると、普段から体が発する声に耳を傾けて体をケアすること。それは、運動や食生活だけではなく、姿勢や凝りを正しておくことも含まれると思うわけです。

 


しかし、40代から健康問題が盛り上がっちゃうようじゃ、人生100年時代は耐えられません。運動や良いトレーナーのいる整体などの話題で盛り上がりたいものですね。

不自由という福音

他人から自分のことを理解してもらえない。むしろ、断片でしかない一面だけを見て、あたかもそれがその人の全てであるかのような解釈をされてしまう。果たして、自分を理解してくれる人は世の中にいるのだろうか…

 


養老孟司さんはその状況にユニークな見方を与えます。

 


周りから受け容れられない。本当の自分を理解してもらえない。そういう人は、表現力が磨かれるのです。自分というのはこういう人間である…相手に合わせて自ら発信していかなくては、自分の居場所が作れないからです。でも、そのおかげで豊かな表現力というものを手にすることができる。いつでも周りに人がよってくるような人には、そういう能力は身につきません。その必要がないからです。

 


人の能力というものは、生まれ持って備わるものだけではなく、その人が置かれた状況の中で身につけざるを得ないことも含めて能力なのだということ。なので一見不自由で不条理に見えることであったとしても、その中で最適化を図ることで磨かれるものがあり、それは恵みであると言えるのでしょう。

 


例えば、僕は左利きであるわけで小さい頃から様々な不便を経験することになります。ドアの開け閉め、ハサミ、算盤、習字に剣道…

 

果たして、利き手と逆の腕を使うことによって両方の利き手が獲得されたりする。それは右脳と左脳の発達にも悪くはない。世の中に1割しかいない左利きの人がそれなりに能力を持てるのは、不便を強いられているからだと思うからです。

 


だから、何かの不具合や不自由があることは決して悪いことばかりではないということ。利き手の逆の使い方や表現力なんて、いくら学校で学んだところで身につくものじゃあないですからね。