Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

専門人材を抱えられない企業構造

日本のデジタルトランスフォーメーション(DX)が遅れている理由の一つとして、データサイエンティストやIT人材がベンダー側に偏重し、その比率たるや約7割近くになってしまっているという原因が指摘されています。

 


さらにそのITベンダーは顧客特有の独自要件を開発工数が嵩むという理由で丸呑みして開発する。結果としてプロセスもデータもおおよそ標準とはかけ離れたレガシーシステムができあがる。

 


そのレガシーシステムがDXを阻害するさらなる要因となっているわけで。日本のDXが進まない原因は大手ITベンダーにすべてを任せる『丸投げ構造』にあるといって過言ではありません。

 


じゃあ社内で育成すればいいか?というとそんな単純な話ではなく、優れたDX人材になり得る人はキャリアパスも報酬も全く魅力的ではない事業会社のIT部門やDX推進部など志望するはずもないのです。

 


そう。一番の原因は事務系高度専門職のキャリアパスと報酬を担保できる仕組みが多くの事業会社にないこと。マネジメントの任に就かなければ、高い報酬や権限を手にすることができない。そんな環境を好き好んで目指す人材は、かなり奇特な人かさもなくば制約のある人だけでしょう。

 

 

 

以前もそんなパラダイムでした。高度専門職を集めた戦略子会社を作って業界水準でみて本当に高い報酬を付与できない。結果として集まるのは未経験か無理ができない制約社員。人様の仕組みを作る会社がそんな有様なのですから、普通の会社であればもっとひどい状況だと思うのです。

 


マネジメント人材が優位で専門人材が劣位というパラダイムで回っている会社は、第四次産業革命にはまず生き残れないでしょうね。

お酒の街

僕が住んでいる新川のマンションの場所には、かつてキリンビールの本社ビルがありました。

 


仕事がら様々な会社を訪れているのですが、中野新本社にはちょくちょく出入りしていたものの、新川の社屋に出入りした記憶はほとんどありません。記憶が残っていたのなら、感慨深い思いをしたことでしょう。

 


新川という場所は歴史的に酒造業と縁が深い場所です。この一帯は江戸時代においては最大の酒市場が形成されていました。特に灘など関西で作られた酒が船便で新川の酒問屋に送り届けられていました。これらの酒は『下り酒』と呼ばれており、亀島川河畔にはこれらを扱う問屋が軒を連ねていたそうです。(東京は上方ですから関西は下なのです)

 


こうしたことから「江戸新川は、酒問屋をもって天下に知られ」

 


という歌もあったそうです。ですからキリンがここに本社を構えていたのもごくごく自然なことですし、今でも大手の酒類卸が新川に本社を構えています。そして新川大神宮はお酒の神様ということで年の瀬には樽酒祭りがあるらしい。行ってみたい…

 


隅田川沿いの上流にはアサヒビール本社もあり、僕は断然アサヒビールが贔屓だったりするのですが、かつてに想いを馳せてキリンビールを飲むのも悪くない。そして新年は灘の生一本かしらね…

 


写真は高層ラウンジから西方のマジックアワーを見た風景。キリンの中野本社からの眺めも良かったですね。

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若き日の母

実家に戻った折、母がアルバムを整理したいとのことで箪笥の奥からアルバムを取り出した。写真は母が独身時代だった頃のものだ。僕が知らない高校、社会人時代の母の姿がそこにはあった。

 


困窮の女手独りの家庭。三人兄弟の真ん中だった母は、成績が良かったことから担任の強い勧めもあって栃木県下の一女に通った。就職活動においても片親の家庭に世間は厳しかった。日立製作所は片親だという理由だけで採用してくれなかったのだという。雇ってくれたのは東京電力。女性は3人で母以外は縁故採用だった。

 


母は当時にしては独身時代が長かった。結婚したのは30代前半。病弱な姉を含めた一家を支えるために、母の収入が頼りだった。一方で行動的な母は独りであらゆるところを旅行した。旅先では女性一人は泊めてくれないので、現地で旅をする男性ペアの人に一緒に宿を取ってくれるように頼んだのだという。大山で撮った写真はそうした旅先の一枚だ。

 


今はすっかりと腰が曲がり、体調も優れない。かつてスキーなんて毎年行っていた。転んだこともないし体力はあったのに…そう嘆く。

 


僕が好奇心旺盛で一人で行動することを厭わないのは、きっと母の血を受け継いでいるから。全国を旅した母の写真にそう思ったのだった。f:id:ishibahomare:20211128182215j:image
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挑戦者からもらう勇気

延び延びになっていた仲間との会合。ようやく開催に漕ぎ着いた。東急線沿線だったから何時も二子玉川で行うのが通例だったけど、僕が引っ越したことを考慮して渋谷開催。ラインではやり取りしているけど、顔を合わせるのは2年ぶり。

久しぶりに顔を合わせると、貫禄を増した後輩のI君、8キロの減量をしたO君。K君はいつもながらスリムだったがそこには少し窶れた感じが漂う。50代も越えると雰囲気が変わるのは仕方ないのかもしれない。

気にしていたのはK君の近況だった。彼は6年前に長く勤めてきた会社を辞め、紆余曲折してメンテナンス会社で働いていた。今はそこを辞めて新しい所で働き出したのだという。新しい職場を尋ねると、タンクローリーのドライバーをしているのだという。

どうして前のところを辞めたの?聞くとコロナで稼働がぐっと減ってしまい収入が維持できなくなったからだそうだ。奥さんも働いているが子供はまだ小学校6年。まだまだキッチリ働いていかないといけない。

辞める際に何かの役に立つだろうと取得した大型免許。そのあとに入った設備メンテの会社では役に立たなかったけれど、あまりに苛烈な環境で2ヶ月しか持たなく。免許取得所時に出会った人の伝で今のところで働くことになったのだそう。ローリーの積載物はエチレンで、東京近郊から山梨、静岡、群馬などに配送を行っているのだという。

初めて向かう場所に車幅感覚も掴めない車を運転するのは、相当に負荷がかかる。積載前後の段取りもなかなか頭に入ってこない。先輩社員は自分より遥かに年下の20代の若者…朝は4時から始業…

そのうちに慣れるのかもしれないけど、今は本当に大変なんだよ。いつも事故を起こさないかヒヤヒヤしている。最近、目も急に悪くなったしね。自分が思い描いたような人生かと言われたら、そうではないけど精一杯楽しくやれるようにしたいよね…

全く新しいことを50歳も超えて挑戦することは並大抵のことではない。共感しあえる同世代の仲間もいない。頭も体もシャープに動かない。自分はもう若くはないことを否応がなしに思い知らされる。

 

『同窓会なんて顔も見せられないよ。でも、この仲間だったら会えるし楽しい』

そう語るK君。平均年齢32歳のベンチャーで働き出した僕も彼の姿に大きな勇気をもらった一時だった。

生きるよすがとしての神話

村上春樹ファンの方は、BRUTUS村上春樹特集号の上・下を買い求めた人も多いと思います。僕もその一人。その中に「村上春樹が選ぶ51冊」というページがあるのですが、そこにはポピュラーな本は一冊もなかったりします。

 


まあ読んだことのない本ばかり…

 


気になる本を読んでみようと選んだのが、『生きるよすがとしての神話』(ジョーゼフ・キャンベル)でもこの本は電子書籍は購入できるのですが、通常書籍は絶版で凄い値段がついていたりします。ハードカバー版が8000円、文庫本が3000円…た、高い!

 


ようやく、2600円で新品同様の文庫本を手に入れました。定価は1200円なり。まあ、この程度なら大人買いの範囲です…

 


51冊の選定図書はそういう本が多いので、読むぞ!と思ってもなかなか読むことは難しそう。ひとまず生きるよすがとしての神話を読んでみようと思います。

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東京にあった居留地

外国人居留地というと真っ先に思い浮かぶのは、横浜山手、神戸三宮だったりするわけです。ところが、聖路加病院を擁する中央区明石町、湊町には『居留地通り』という通りがあります。今の僕が住んでいる新川のお隣です。

 


今や当時の面影を残す建造物は、レーモンドが設計した旧聖路加国際病院病棟くらい。ですが調べてみると、明石町一帯は、江戸幕府時代に外国人居留地として広く指定された場所であったようです。

 


このためでしょう。日本における著名ミッション系スクールの発祥地はこの小さな明石町に集中しているのです。雙葉学園、青山学院、立教、明治学院関東学院、女子聖学院、暁星学園…これらは居留地にやってきた宣教師が創った教育機関だったりするのです。しかしながら錚々たる顔ぶれです。

 


こうした中で聖路加病院は、明石町居留地におけるシンボリックな存在であり、東京大空襲のターゲットからも外されます。米軍としては、占領後の活用も想定していたようです。(実際に戦後はGHQによって接収され米国陸軍管轄の病院になります)

 


果たして聖路加国際病院は、1945年3月10日の東京大空襲で被災を免れ、月島や佃もその恩恵を被ることになりました。月島に戦前からの街並みが残るのは、聖路加国際病院のお陰といっても良かったします。恐らくそのことを知る月島の住民においては、この病院に対する並々ならぬ感謝と畏敬の念があるように思います。(産まれた病院という理由だけではない)

 


先日、昔から月島に住んでいるN嬢が『ここの人たちは、聖路加に対する思い入れが強くある…』と言っていたのですが、歴史を紐解くとその理由が良く分かりました。それにしても、明石、湊、月島、佃、石川島は見事に爆撃から逃れています。

 


戦後において石川島は造船業で高度経済成長を牽引し、月島、明石町もその恩恵を受けました。そして、聖路加国際病院は接収解除後は独立系病院として日本で最高峰の医療を提供する先端機関であり続けています。そのルーツは、江戸幕府居留地にあったというのは非常に面白い史実といえます。

 

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人事DXが進まない訳

Googleのトップエンジニアの方と対話をする機会があった。


彼が言うDXの本質とは、データドリブンで付加価値を創造するという視点で物を考えていくこと。システム化では無い。システムは変えなくても、データの持ち方や分析の仕方を変えるだけで新たな付加価値が生まれてくることもある。その上では、単にデータを蓄積していこうという発想ではダメで、意味のある形でデータを加工、蓄積した上で分析、意味づけしていくことが大事になる...

 

タレントマネジメントシステムを導入しているにもかかわらず、従業員の一覧管理と評価運用程度しか活用できていないという企業が多い。基幹システムからAPI連携でデータを全てタレマネシステムに放り込んだとしても、データエンジニアリング、データサイエンスのステップが無ければ、いたずらにゴミを溜め込んでいるのと同じ。誰が将来の昇格者候補なのかも、異動配置対象者として適切なのかも全く分からない。


一方でタレントマネジメントシステムの課金システムは、ユーザーライセンスあたりの従量制であり、使い方はショボくても評価運用のように、とにかく全社員が使っていれば儲かる仕組みだったりする。


そう、データがゴミで目的を叶えられないことは分かっていたとしても、DXリテラシーの低いユーザーマターという扱いにして手はさしのべない。データエンジニアリングやサイエンスを伴走できる人材は、タレントマネジメントシステムのベンダーにはそもそも存在すらしていないのだから。


人事DX=クラウドシステム導入と考えているユーザーとそこにつけ込む提供者。この構図が不毛なシステムが跋扈する問題の元凶だったりする。少なくとも、提供者論理でタレントマネジメントシステムをとにかく売りつける、ユーザーに対しては導入さえすれば何事も解決する・・という嘘八百を吹き込んでいる人は、DXをそもそも理解していないし害悪以外のなにものでもないな・・と思うのです。