Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

夢のメカニズム

人は死を目前にして、これまでの出来事を一瞬の中に見るという。それと同じように人が夢を見るときも、時系列で物語が展開されるわけではなく、出来事が一瞬のうちに絵のごとく照射されるのではないか…

 


だから、夢というのは見た直後しか克明に思い返すことはできないし、照射された絵を物語としてつなぎ合わせている過ぎないから、前後や辻褄が合わないことが多いのではないか。

 


人が覚醒しているときには、意識が働いている。この意識のおかげで記憶というものは奥にしまわれているものはなかなか出てこないし、記憶の断片がつながることもない。これが、眠りについたり極限状態に置かれたときにはリミッターが外れる。夢としての絵はそういうときに立ち上がってくる…そして、それは一瞬のことだ。

 


先日事業の構想で関わった人たちと懇親の席があった。僕は初めて会う人と話すときにおいては、たいてい聞き役、インタビュアー役に回るのだけど、そこで出た一つの話が夢のメカニズムについてだった。

 


脳のシナプスが電気的に繋がり、映像が立ち上がるのは一瞬の出来事であり、彼の話はとても的を射ていると思ったのだった。

点と点が繋がるとき

大手クライアント向けの研修デリバリー。プロジェクトメンバーが珍しくオフィスに集っての一時。テーマは、クライアントにおいてバランストスコアカードを踏まえた組織目標の設定研修。

 


この研修を引き受ける際には、社内で少々面倒なやりとりがありました。それは、バランストスコアカードというニッチな領域の専門的スキルをメンバーにおいて十分に持ち得ない中で、研修を引き受けることは適切ではないのでは。その上では他に委託することも含めて再考すべしという声でした。

 


とはいえ、人事制度改革を提供している文脈の中で、新制度を適切に運用する事を目的として依頼されている研修。クライアントや新制度のエッセンスを知らない第三者に委託することをクライアントは望んでいない。バランストスコアカードにおいては僕自身も少々覚えもある。

 


僕やメンバーの力を信用していない人間があれこれ言うのは分かりますが、なんとか出来るだろうという目算もありました。

 


果たして僕ら以外の有力な人材も見当たらず。案件を引き受け実施することに。いわゆる通常の評価者研修とは全く異なるコンテンツですから、アジェンダから書き起こしです。

 


でも、過去の経験をひもといていくと、必ずしもスクラッチのコンテンツではない。メンバーも僕の書き起こしたアジェンダやアイデアからイメージを膨らませ、うまく肉付けをしてくれた。テクニカルアドバイザーのY女史もスマートな目線を入れて最後の補正をしてくれた。タイトなスケジュールで初めての内容だったにも関わらず、無事にコンテンツはできあがったわけです。

 

 

 

講師は僕が務めました。初物の研修コンテンツをPMがデリバリーするのは宿命ですね…

 


メンバーの知恵を絞って作り上げたコンテンツに、自分の解釈と説明を加え、200名強の対象者への二回の研修は終了。研修には社長や常務も参加してくれたこともあり、ほどよい緊張感があったことも奏功しました。内容は好評価を持って受け止めてもらえました。

 

 

 

バランストスコアカードについて僕が少し関わっていたのは、もうかれこれ20年も前のこと。テーマも組織・人事ではなく、製造業のERP導入に伴うBPRコンサルタントだった時のことです。

 


ま、バランストスコアカードをまともに運用しようとしたら、ERPシステムとの連動は不可避だし、戦略マップを作るためにはビジネスプロセスの可視化も欠かせない。単なるツールではなく、実運用の視点はよく分かっていました。これは、いわゆる人事屋では持ち得ない経験。(ただのKPIツールだと勘違いしている人が多いのよね)

 


でも、20年もたってからそういう経験が生きる局面が来たりするわけで。人生というのは点と点がふいに繋がることがあるから面白い。

 


研修後にはメンバーのUさんが気を利かせて、僕の誕生日のサプライズプレゼント。貰ったのはMr.CheeseCake…この集まる機会を逃さず準備してくれたそうです。この気の利かせ様はとても素晴らしいことだと思います。

 


家に持って帰ったら、『凄い❗これって食べたいけど全然手に入らないすごいケーキなんだよ。お父さん価値分かっているの?』

という娘の反応でした。なんか昨日夜これを食べている動画をみたのだそうで。正夢か…と。

で。その前にスライドと音楽でメンバー二人の演出があったのだよ。と話したら、『めっちゃいい部下の人たちだねえ…わざわざそんな事してくれるんだ…』と家族みんなが感動してました。

 


今年は、心がかき乱される出来事が多く、精神的にしんどい局面が多かったですけど。クライアントから感謝の言葉をもらったり、メンバーからお祝いをしてもらえるというのは、嬉しい瞬間です。

 


僕のことを知らない第三者が、いくら僕を非難したとしても。見てくれている人はいるということを忘れず、励みたいものです。

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中心をいくつも持つ外周の無い円

人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。説明もつかないし、筋も通らない、しかも心だけは深くかき乱されるような出来事が。そんなときは、何も考えずにやり過ごしていくしかないんじゃないかな。大きな波の下をくぐり抜ける時のように。(村上春樹 一人称単数 クリーム)

 


小説における『僕』において、突如として降りかかる理不尽な出来事が起こるたびに頭に湧き上がったのは、公園で会った老人が僕に問いかけた『中心がいくつもあって外周を持たない円について』考えを巡らすことだった。

 


でも、中心がいくつもあって外周を持たない円とは、何なんだろうか。

 


これはあくまでも僕の考えなのだけど、それは人の頭、もっといえば心のことを言っているのだと思う。中心はありそうで、でもその核心はいくつも存在している。外周だってぼんやりとしている。優しさも残酷さもない交ぜとなって存在している人の心。

 


理不尽なことが起きたとして、それが人の心が原因であることは確かだったりする。でも、その心というのはある意味で掴みようがない存在。一つの中心でハッキリとした輪郭をもつ円ではない以上、幾らそこに神経を注いだところで意味はなかったりする。

 


であれば、その心が引き起こした理不尽さについて思いを巡らすことは止めて、波を乗り過ごしていくことに注意を払っているべきなのである。

 


僕自身においても、身に起きたあまりに筋の通らない理不尽な出来事は、そう捉えて処していった方がいいのかもしれない。それは、人生にとって最良のもの≒クリームとは何の関係もないことなのだから。

感情を上げるという機能

リモートメインの働き方になると、圧倒的に減ってしまうがスーツを着ること。ビジネスカジュアルを通り越し、暑い季節においてはウィークエンドとほぼ変わらず、Tシャツに短パンという出で立ちで良いのですから。対面のリモートワークにおいても、せいぜい襟付きのシャツで良いので、なんとも気楽なもの。


コロナ禍が起きる前からスーツ市場は、単価も数量も縮退していたわけだけど、今回の出来事でこの動きはいよいよ決定的なものになったと思うわけです。そしてスーツを着なくなると、付帯していた靴や時計といったアイテムだってバリエーションが不要になる。


そう考えて、5月は連休中にヤフオクで数本の時計を売り払いました。ウィークエンド用、ビジネス用、ランニング用。目的別にそれぞれ一本あれば事足りると思ったから。一応ビジネス用だけは、2本だけを残しておいたけど、コンマリの教え通りときめかない物は処分して良いわけで。


外出で時間を気にすることは大きく減るから、時計はあまり必要ないよね・・と思いつつ。先日購入したのがISSEI MIYAKE 岩崎一郎デザインの時計。4年前からずっと気になっていて、お気に入りには入れていたのだけど、この環境下で在庫処分で半額で売り出すというところがあり、思案の上で買ったのでした。

 

実際にどうだったか・・思った以上に良かったと思っている自分がいたりします。


基本的に『道具』は、目的充足の機能さえ持っていれば何でもいいのかもしれないわけです。でも、道具が提供するものは目の前の『不』を解消するだけではなくて、使い手の『感情』を高揚させるという隠れた大きな目的がある。


時計においては自分がいつも無意識に身にまとっている『空気』を意識させてくれるもの。その空気が少し上質なものに変わるのだとしたら、それは十分にいい買い物をしたと言えるわけです。洋服もそうですよね。


オンワード、SANYO、レナウン・・スーツの名門メーカーはどれも窮地に陥っています。ISSEI MIYAKEなどのアパレルファッションも内定取り消しをした位で、相当に厳しい経営環境。とはいえ、気持ちを高揚させるファッション業界の名門には頑張っていい商品を出し続けてほしいと思うものです。

夢の話

覚えている夢はほとんど見ないですし、そこに誰かが出てくることもないのですが。

 


昨晩見た夢は、学生時代の同級生の家になぜか娘が居候をして世話になっている。そして、僕もたまに訪れては居間でくつろいでいるというものでした。

 


別に家庭不和じゃないのですよ。そして、彼女に恋愛感情があるわけでもないと思います。安心感がある人だとは思いますが…

 


原因として考えられるのは、連休前から読み進めてきた宮本輝さんの『流転の海』も最終9巻になり、浮気がばれて浮気相手の家に居ざるを得なくなった主人公熊吾のシーンが頭に残っているからなんでしょうね。

 


こういう話は、家で口にすると大いなる誤解を受けて大変なことになるので、こういう場所に吐き出しておきます。

サンクションの快楽

集団における暗黙、もしくは明示化されたルールに従わなかった者には、制裁を科して当然であり罪人として何をしても許される…

 


この現象はこの世の中において至る所に見られる。芸能人に対する不倫バッシング、コロナ禍における自粛警察など。

 


こうした行き過ぎた制裁を人がしてしまう背景としては、正義の執行自体が快感であることに加えて、自分より人を貶めることによって自分の相対的位置が上がるし、自己の立場の防衛も果たされるという効用がある。これによって、集団的なリンチ(私刑)というものが職場の中などでも発生するのである。

 


中野信子さんは、職場におけるいじめは『正義の名の元もとに行われる快楽行為』であり決してなくなるものではないという。

 


この快楽は、食事やセックスをしているときに放出されるドーパミンのほか、ルールに従わないものに罰を与える正義達成欲求や所属集団からの承認欲求が満たされるため、強い快楽を感じられるらしい。よって、相手を攻撃することが良くないことだと理性でわかっていても止められない。

 

 

正義の御旗を掲げつつも、ドロドロとした欲求の刃を集団から向けられた個人としては、たまったものではない。自殺を考えるほどに精神的に追い詰められてしまう。

 


では、どうしたらこうした陰湿ないじめを食い止めることができるのか。それは、過度に強固な結束をやめ風通しのよい流動的な人間関係を作ることにあると中野さんは説く。村意識に凝り固まった集団に属さないし、そうならないようにしていくしかないのだ。

 


表面上の予定調和に流され、本音を語り合えない見かけの仲良し集団においては、大人のいじめが生じる温床が満載といえるのである。そこにおいては、権限を持つリーダーたる人間の人としての品格が大きく作用しているといってもいいだろう。独裁者の下では、密告や粛清を行う秘密警察が跋扈するものだからね。

制約は想像力の源

「バスはある方向に同じ目的で動く乗り物だが、乗っているバスから飛び降りてもいいんだよ、と言われても人間は案外とつまらないことしかできない。

 


同じようにアバンギャルドとかアウトサイダーは意外につまらない。想像力は、ある程度リミッターがかかっている方が変形して突出することは歴史が教えています」(千住博

 


これは、建築や美術といった領域に限らず、コンサルティングワークでもいえること。予算、時間、クライアントの必須要件…その中でいかに新しい取り組みができるか。それはまるで、圧力釜のごとく高い気圧をかけることで仕込んだ物事を芯から溶融させ、新たな味を引き出すような装置となり得たりする。

 


何でも自由にやっていいというのは、蓋のない釜のようなものでいつまでたっても物事が煮詰まらない。

 


だから、『何でもおまえの好きなようにやりなさい』となにかにつけていう親は子供の創造性をひきだせなかったりするのだと思うのです。