集団における暗黙、もしくは明示化されたルールに従わなかった者には、制裁を科して当然であり罪人として何をしても許される…
この現象はこの世の中において至る所に見られる。芸能人に対する不倫バッシング、コロナ禍における自粛警察など。
こうした行き過ぎた制裁を人がしてしまう背景としては、正義の執行自体が快感であることに加えて、自分より人を貶めることによって自分の相対的位置が上がるし、自己の立場の防衛も果たされるという効用がある。これによって、集団的なリンチ(私刑)というものが職場の中などでも発生するのである。
中野信子さんは、職場におけるいじめは『正義の名の元もとに行われる快楽行為』であり決してなくなるものではないという。
この快楽は、食事やセックスをしているときに放出されるドーパミンのほか、ルールに従わないものに罰を与える正義達成欲求や所属集団からの承認欲求が満たされるため、強い快楽を感じられるらしい。よって、相手を攻撃することが良くないことだと理性でわかっていても止められない。
正義の御旗を掲げつつも、ドロドロとした欲求の刃を集団から向けられた個人としては、たまったものではない。自殺を考えるほどに精神的に追い詰められてしまう。
では、どうしたらこうした陰湿ないじめを食い止めることができるのか。それは、過度に強固な結束をやめ風通しのよい流動的な人間関係を作ることにあると中野さんは説く。村意識に凝り固まった集団に属さないし、そうならないようにしていくしかないのだ。
表面上の予定調和に流され、本音を語り合えない見かけの仲良し集団においては、大人のいじめが生じる温床が満載といえるのである。そこにおいては、権限を持つリーダーたる人間の人としての品格が大きく作用しているといってもいいだろう。独裁者の下では、密告や粛清を行う秘密警察が跋扈するものだからね。