Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

素手の勝負こそ営業の醍醐味

顧客訪問をするにあたって、何かにつけ資料やパンフレットを持って行こうとする営業担当者というのがいます。

 


アポイントを取り付けた以上、相手に何か手土産を持って行きたいという心理のようですが、典型的な物売り営業の特徴だったりします。(そのくせソリューションプランナーとか、コンサルタントなんていうふざけたタイトルがついたりする)

 


営業とは、『自分を売る』と考えるなら、いちいち人の作った商品サービスの紹介資料やデータ集などに頼らず、顧客と対話をしながら状況に応じて情報や示唆を与えていけばいいわけです。

 


手ぶらで話せるのは、天気や時事ネタだけ。相手が一番関心に感じている業務課題については、素手の対話で勝負できない。そんな薄っぺらい仕事していて楽しいんかい…誰でもできるよね…と思ってしまうわけです。

 


自分の仕事にプライドや執着心を持っていたら、そんな仕事のスタイルにはならないわけです。人材業界に何年もいながら、派遣や採用といった特定サービスのことしか理解していないとかって…

 

 

 

営業って世の中が変わってもなくなることはない仕事と思いつつ、憧れの対象になりえない、むしろ職業として敬遠される所以は、あまりに御用聞きの物売り営業が多いからなのだろうなと思うのです。

MandatoryではなくFanの世界

人間は、思考ですべき事を列挙することができます。一方で優先順位は感情がつけています。いつまでも手につかないTo-Doは、感情的にポジティブな意味合いがないからいつまでも手につかないわけです。

 


ですから、生産性高く仕事をしたいのであれば、感情的にプラスの意味が持てる仕事をすることですし、マネジメントの役割は、本人には気がつかないプラスの意味を気づかせてあげることです。そこでは何よりも自己に対する知識に基づいた仕事の選択が大事ですが。

 


人間のメカニズムを良くわかっていないマネジメントのすることは、仕事量の適正化や評価によるコントロールです。モチベーション2.0の世界。

 


人は、感情的にプラスに触発されことであれば、集中して打ち込むことができます。何をするか、誰と一緒にやるか、誰のためにするか。愛情や情熱を注げる事柄が3つの要素のうちに一つでも入っていれば、少々無理でも頑張れる。

 


そう、楽しみにしていた仲間との旅行であれば、毎日早起きでも良いのです。知的創造に携わる僕らにおいては、モチベーション3.0の世界観でマネジメントしていかないとダメです。

 


だから、経験やスキルより一緒に働きたいメンバーの採用に何よりこだわるし、その人が何を大事にしているのか、誰と働くのが心地いいのか、何に関心を持っているのか…を押さえた上で働いてもらうことが何より大事。

 


仕事量が多いから減らそうよ、とか案件数は3つに絞ろうよ…という単純な議論じゃないのです。Fanの世界において、効率とか適正量なんて関係ないからね。それってMandatoryの世界。

 


僕は、ワークライフバランスが大事とかいっている人は、Mandatoryのパラダイムで自分のしていることを愛していない人のプリンシプルだと思うのだよね。

 

疝痛との闘い

昨晩に大阪から黒部に着いたときにいやな兆候はあったのだ。下腹部に残る嫌な張り。

 


朝起きると下腹部の疝痛と悪寒。そう、これは1年半前に遭遇した尿管結石の症状。だが、今日はキャリア研修の講師を独りで務めなくてはいけない。サポーターもいない。この日のために遠隔地から来ている受講者もいる。当日キャンセルは避けたい。

 


朝食も取れず、冷や汗いっぱい。何とか支度をして会場に。じっと座っていることができない。午前中は、だましだましトレーナーを遂行。キャリア研修は、個人ワーク、グループワークが多い。グループワークが自律して回っているので、なるべく会場を外し障害者用の広いトイレに設置されている寝台で仰臥。(こういうトイレは珍しいが、僕にとっては僥倖だった)

 


午前中は痛みのあまり目がかすみ、立っているのがやっとだった。だが、なんとか半分が終了。用意してもらった昼食もスキップ。とにかく、水分を補給して石を落としてしまうしかない。

 


15時くらいからだろうか。痛みがピークアウトしてきた。一番長い講義パートも何とかこなすことができた。終わる頃には、疝痛も無くなっていた。水だけは、二リットルほど飲んだので、石が落ちたのだと思う。夜は普通に宿に戻り、やっとご飯を食べられるようになった。やれやれ。

 


しかしこいつは一度経験していなければ、凌ぐことは出来なかったかもしれない。一期一会の受講者にも何とかいい機会を提供することができた。

 


終えて拍手をもらった瞬間の安堵感。しかし、今年はアクシデントが多い。母親にも言われたのだ。今年は、試練の年だから、とにかく謙虚でなさい…とね。

戻ってきたルーティン

しばらく遠ざかっていた教会聖歌隊。今日は、久しぶりに顔を出しました。ミサ前の練習では、なんか皆さんから拍手なんかしていただいて…ありがたいことです。

 


声は、ブランクは感じず高音もしっかり出せたかと思います。ひさしぶりに聴く、パイプオルガンの音色。そしてロマネスク様式の壁面を飾るフレスコ画は、改めて荘厳で美しい。

 

 

 

午後は今までできなかったロードバイクのメンテ。前後輪のタイヤを替え、歪んでいたディレーラーハンガーを交換。

 


いつもはパナソニック製のタイヤですが、今回はドイツ製Continentalのスリックタイヤ。Max空気圧は8.5barと低めですが、乗り心地は結構よかったりします。パナソニックはやや固めなんですよね。

 


シャツと同じ。下ろしたてのタイヤは気持ちがいいものです。しかし、ようやく失われていたルーティンが戻ってきたんだな…って実感です。

ビジョンとは美しさや歓喜のイメージ

多くの組織で掲げられているビジョン。No.1になるとか、5年後に売上10億を目指すとか。でもこれって、僕からいわせたらビジョンではありません。ただの目標です。

 


企業や組織は、拡大や成長すべき存在である。この『誰からも分かる正しさ』に立脚したビジョンとも言えばいいでしょうか。

 


僕は、ビジョンは誰からも判断できる『正しさ』を据えるものではないだろうと思うのです。『正しさ』ではなく『美しさ』やそこに集う人々の『歓喜』を表現したものこそが『ビジョン』。人と比べた位置づけとか、規模なんて相対性の世界はどうでもいい。『美しさ』や『歓喜』という絶対観の価値があれば、そこに顧客も従業員もついてくる。だから、No.1ではなく、オンリー1。

 

 

『正しい目標』などに求心力は決して生まれません。未達だったら罰を受ける、達成したら評価をされるという恐怖のマネジメント。言い換えるなら律法の世界です。

 


ワクワクや喜びのドライブで人を動かしていこうとするなら、美しさや歓喜のビジョンこそ北極星として天上に掲げるべきであり、そこに従った決断をしていくべきでしょう。

 


一方で、学校教育以来『正しさ』の世界でしか生きてこなかった人は、絶対観としての審美眼が全く養われていない。だから、こういう人の作るビジョンやマネジメントはいつも"律法的"で堅苦しいのです。

 

法律だから否定はできないけど、共感は決して生まれない。美しさの基準がない人がリーダーに多いから、多くの組織では自己顕示欲の強い一部の人を除くと、息苦しさを抱えた人が多くなるのだと思うのです。


そうした意味で、リーダーにおいては審美眼を養う上でのリベラルアーツが重要である…というのは理にかなっている。そして、美しさの基準を正しさにしか持ち得ない人が、リーダーに立つ弊害を理解した方がよいと思うのです。すべてを否定はしませんけど…

社会貢献という盲目

ここ最近、面接をする機会があっても、なかなかいいなと思う人に会えません。

 


コンサルティング業界自体が需給ギャップが崩れており、人材争奪戦の様相。ブランド力やフィーが大手に劣る僕らの会社となると、なかなか苦戦をします。果たしてこんな人をよく紹介してくるな…エージェントの良識、センスを疑う…という候補者が最近は多くやってきます。

 


昨晩も、20代の人事経験者の男性で職務経歴書や履歴はまずまずだったので期待して会ったのです。

 


お会いしてみると、終始おどおどしている。自分のことなのに自信を持って話せない。自己の選択、行動基準が曖昧で納得のいくストーリーになっていないのです。

 

 

 

今の会社は、社会貢献ができる、かつ規模の小さいという観点で中古車オークション会社を選び、そこで人事をやっているのだといいます。

 


よくいるのです。社会貢献したいとか高邁で雲つかむようなところに価値をおき、会社選びをする人。はっきり言って、どんな会社だって何らかの形で社会に貢献している訳ですから、その理由をおいた時点で会社や仕事なんて何でもいいわけです。そんなことに気づかず、明確な理由をもって人生の選択をしていると信じて疑わない浅はかさ。

 

 

 

あなたの会社の組織・人事課題は、何でしょう?と聞いてみると、成果を上げた人に報酬が的確に反映されないところにある。若手がやりがいをもって働くには、報酬配分のルールを代えるべき…という。言っている本人が3年で辞めようとしている理由は、報酬ではなく専門性を身につけられる歯応えのある仕事に恵まれないから…と断じて言います。

 


問題の解決策として、個人の視点と組織の視点を統合して考えられていないということに気がつかない。

 


専門性を身につけたいと言いつつ、組織・人事に興味関心があることを裏付ける学習もしていない。たまたま人事に配属されたから、志望しているだけ。面接だったのですが、活を入れてやりたくなりました…まあ、全く向いてません。結局、自分に自信がないから少数規模の会社にいったというに過ぎないのです。

 

 

 

未知のもの、変化を好まない人はコンサルティングは向いていません。なぜなら、毎回取り組むテーマもクライアントも異なるからです。ですから知的好奇心や自己肯定感の低い人は、能力以前にノックアウト…

 


しかしなあ…本当に仲間として繋がりたいと思う人ってなかなか見つからないね。一人でもそういう人がいることに、感謝をしないとね。

トランジションの成長痛

久しぶりに出会った同僚のTさん。彼女が僕らの組織を離れて1年ばかりになる。通った芯と柔らかな人あたり。組織における精神的な支柱だった。

 


『最近、どんな案件をしているんですか?』と彼女に尋ねられた。

 


「人事制度改革、組織開発、リーダーシップ開発、社員意識調査分析、キャリア開発、昇格制度変革、アセスメント面接…引き継いだ案件もあるけど、比較的いろいろなテーマやらせてもらってます…」

 


「最近は、案件が多くて僕も含めてメンバーの稼働も逼迫して、全体に余裕がなくて。ちょっとギスギスしているんですよね。Tさん、週1日でもいいから、戻ってきませんか?」

 


『昔は、案件がなくて何をするか…なんて集まって話していたからね。それと比べると、今の課題や悩みは、組織が新しい次元に行こうとしているからなのよね』

 


僕の言葉に微笑みで受け流しながら、彼女はそう言ったのだった。

 


考えてみれば、これだけバラエティに富んだ案件を遂行できるというのも組織・人事コンサルタント冥利に尽きる話である。10年前にPwCにいた時には、とても考えられなかった状況である。あの時は、一つの案件を取るのに必死だった。時は、リーマンショック後で業界全体が急速にしぼんでいるときだった。

 


果たして僕は組織・人事領域のキャリアはブラさずも、チェンジを余儀なくされた。僕の後においても多くのメンバーが、組織を去らざるを得なかった。

 


その頃に比べたら。ある意味贅沢な悩みである。志を持った仲間がいる、様々な期待を寄せるクライアントがいる。どう次のステージにみんなで登っていけるかなのだよね。