Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

君にしとけば良かったなんて

「あぁ君にしとけば良かったなんて

ちょっと失礼じゃない?!

あなたに彼女いると知って

眠れずに泣いた夜のこと 絶対言わない


あぁ君にしとけば良かったなんて

ちょっと気分いいね

私は浮かぶ島のままで

高い波ここへ泳ぎつくあなたを待ってる」


平松愛理 君にしとけば良かったなんて)

 

 

心を寄せた相手から告げられた別れ。いつか振り向かせるではなくて、君にしとけば良かった…っていつか言わせてやる。考えていたのはそんなこと。異性であろうが、会社であろうが。


自分に三行半を突きつけた見る眼のない相手のために、嘆き悲しんでなんて絶対にやるもんですか。後ろを振り向くなんて、時間の無駄。

 


でも、そういう根拠のない自信ってどこから来ていたんでしょうね。

 


失恋をすれば、どっかりと看板をぶら下げている位に落ち込んでいる彼や、会社に三行半を突きつけられて立ちすくんでしまっている彼。結構、周りには多いのです。これが男の子のナイーブさ…というやつなのかしら。

 

もちろんショックはあるけど、未来のことしか考えない。後ろは絶対に見ない。

 

自分の存在の不確かさに潰されそうになるとき。自分に未来を託してくれた、託そうとしてくれた人たちの事を思い浮かべます。彼らのためにも僕は誇りを失ってはいけないんだ…と。僕が未来にいきられるのは、そんな自信を与えてくれた人達のお陰なのでしょう。

 

やっぱり、自分が好きになった人は、何時か長い時間経って再会したときに、輝いて素敵な人であって欲しい。逆に自身もそう思ってもらえるようでいたい。きみにしとけば良かった…ってね。

 

https://youtu.be/T8nd3Tx7M5U

この傘をたためば

悲しい出来事がこの雨だとしたら
傘をさしても濡れる肩が正直な気持ちだけど
独りのときこそちゃんと強くいたいんだと
あまりにも思いすぎて自分まで失くしそうで

ほんの少し弱音を吐いてほんの少し抱きしめてもらいたい
君は許してくれるだろうか

槇原敬之 この傘をたためば)


初期の槙原さんの曲は、内省的でじんわりとくる歌詞と曲が多い。この曲もその一つ。


先日、ある方と語らう夜を持っていました。気になっていたんです。押しつぶされそうな日々を過ごしていて、大丈夫なんだろうか・・と。


人のこと気にするほど、僕はしっかりしていやしません。思いもよらない災難があったりして、冷静な自分を見失いそうなこともあり。頭の片隅で気にしつつも、なかなか気持ちの余裕が持てなかったりする。


でも、僕の場合はとても幸いなのです。なぜなら、職場において気のおけない、愛すべき仲間と仕事に恵まれているからです。プライベートにおいても、仕事においても、心癒やされる場所がなかったら、どんなに強い人だって折れてしまう。


「悲しい出来事がこの雨だとしたら、傘をさしても濡れる肩が正直な気持ち」


きっと、そうなのだろうと思うのです。だから、弱音を吐いてくれたっていい。僕だってそういう時に心から寄り添ってくれた人がいましたから。そして、人を支えているようで、その実、自分が癒され支えられていたりもするのですから。

nico.ms

人生の正午

村上春樹さんの「回転木馬のデッドヒート」には”プールサイド”という短編が収録されています。この小説は、「35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した」という冒頭で始まります。

 


読んだ時は大学生。当時においても35歳というのは早すぎるんじゃないか?と思うものがあり、35歳だった時もそう感じたのですが。人生の折り返し点というのは、45歳になった時の方がしっくりくる感じがしたものです。

 

 

そして、折り返し点を過ぎ40代最後の歳を迎えたとはいえ、「何時までも大人っぽくないというか、恰幅がいいという感じには程遠い」とは母親の弁。こればかりは生来の気質で幾つになってもあまり変わりがないのでしょう。

 

 

気質と言えば、僕は8月17日17時17分生まれで、17という数字に縁がある人間なのですが。17という数字には、不安定さ、揺らぎの力の意味があり。俳句が5,7,5=17で構成されているのも、17という数字が醸し出す揺らぎの力を活かしているだとか。不安定というのは、自身にも通じるところがあります。

 


安定性が無いというハンデはありますが、安定の対義は「活性」。活きた眼で、どんなものでも新鮮で興味深く捉え、未知のものにも臆せず活力をもって取り組んでいきたいなと思っています。

年齢という記号

You're only as old as you feel.
あなたの年齢は、あなたが感じている年齢である


英語のことわざです。


体力落ちたなとか、集中力落ちた、なんて感じることもないので、年齢って普段は意識することがありません。この10年位は、自身の中での感覚はあまり変わっていない気がします。


とはいえ、年齢という記号が変わることによるメリット、デメリットそれぞれ。メリットですと、ミドル・シニアのキャリアをテーマにしていることもあり、トレーナーとして人前に出ることに障害がなくなってきたことがあります。


このテーマを始めたときは、40歳でした。企画は一手に裁けても人前に立つ役回りは他人に委ねざるを得なかった。その頃から思っていたことは、別に歳を重ねたからといって、働く上での哲学や教訓が身についているわけではないということ。時々歯がゆいなって思うことも度々ありました。今では、そのまま講師もお願いしますって形にもなる。年齢を重ねたことの明らかなメリットです。


一方のデメリット。


僕自身は遭遇していませんが、年齢一律での人事施策の遡上となる立場になってきたということ。僕が以前支援をしていたメーカーでは、48歳、49歳でキャリアの岐路を考えさせる研修が行われていました。53歳の役職定年があったからです。基本的に会社におけるキャリアはここで行き止まりです。


当時は彼岸のことでしたが、もしその会社の社員だったら対象となる立場になったわけです。それにしても、年齢という属性だけで十把一絡げに扱われる・・なんて理不尽な政策なのでしょう。年齢を重ねれば重ねるほど、体力、能力、精神面それぞれに個人差というものが大きくなる。それが現実なのにね。

 

日本ではまだまだ年齢というものの呪縛が社会システムにおいても、個人のメンタリティにおいても非常に高い。生を受けた日が巡ってくることを喜びつつ、これからも年齢なんてものを意識せず、日々新しく過ごしていきたいなと思うのです。

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動機善なりや、私心なかりしか

Googleが導き出した優れたマネージャーの8要素。

 


習慣1 よいコーチであれ。

習慣2 部下に権限を委譲せよ。マイクロマネジメントはするな。

習慣3 部下の成功と幸せに関心を持て。

習慣4 くよくよするな。生産的で結果志向であれ。

習慣5 よいコミュニケーターであれ。そしてチームの声を聞け。

習慣6 部下のキャリアについてサポートせよ。

習慣7 明確なチームのビジョンと戦略を持て。

習慣8 チームにアドバイスができるように技術的なスキルを磨け。


僕のようないい加減なマネージャーは、上記を満たしているとは到底いえないのですが。それぞれの条件は味わい深く、普遍的な行動指針だと思うわけです。

 


中でも、僕が好きな習慣が3と6です。幸せに関心を持ちなさい…ってカトリック司祭が言っているのではなく、最先端企業のGoogleが言っているところに妙があります。しかも、分析結果から結論づけているわけです。

 


そして、部下のキャリア支援をすること。キャリアなど自己責任だなんて割り切り、無関心なことではダメだと。米国のスタイルでは、意外なポイントだったりします。

 


ただしこれらの条件は、離職の最も可能性が高い要因は、中長期の自己の成長の姿が見えないことであり、上司との人間関係にあることを考えれば、極めて理に適っているのです。


やっぱり、自分の未来、幸せを考えてくれる存在って、会社の人間関係以前に貴重ですよね。振り返ると、親や恩師ってそういう存在。何時までもずっと心に残っている。

 

でも、それができる前提は自己犠牲や奉仕の精神があるかどうかだと思うのです。自己顕示、自己保身、自己便益があっては到底できません。もっと踏み込んで言うと、外的キャリアに成功基準を置いている人は決して出来ないマネジメントだと思うのです。

 

思い浮かぶのが、稲盛和夫さんの「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉。

 

僕が彼にとった行動、発言は、果たしてそこに適うものであったのか。彼を幸せにすることに僕は何ができるのか…そもそも、身近な人にだってそんなことが出来ていやしない。でも…

 


相手の立場を想像し、未来の笑顔をどう作れるか、それを少しでも考える努力をするしかないのですよね。

左利きの日

昨日、8月13日はLeft Handers Day 左利きの日でした。なんでも、イギリスにあるLeft-Handers Clubが、世の右利き専用に作られている道具を、誰でも安全に使えるようにと呼びかけることを目的に制定した日なんだそうです。


ハフポストでもこの左利きの日についての記事が出ていたのですが。なかで、使いにくい道具の最右翼として出ていたのが、スープバーなどにおいてある右利き専用の「おたま」。まあ、確かに使いづらいですわね。


左利きとして生まれると、右利きの世界に否が応でも適応していかなくてはいけない。道具以外には文字だって右利きを前提に開発されたものだったりします。でも左利きは、利き手の逆も使うことを余儀なくされます。結果として、右脳も左脳も開発される。不便だけど、その恩恵も多く受けているような気もします。


世の中に1割程度しか存在していないとされる左利き。人と同じじゃつまらない、あなたってユニークね・・それが最高の褒め言葉という人種としては、左利きというのはただそれだけで、意義があったりもする。


僕の場合、幼少期に右手に矯正させるべく母親に躾されたわけですが、不器用でちっとも直らなかった。諦めた母親は、ある日僕のための道具を注文してくれました。それはドイツヘンケル製の左利き用ハサミ。5歳の頃だったのだと思います。自宅のポストにハサミが届いていた瞬間からなぜかクッキリと覚えています。


ハサミは左右どちらでも使えます。野球のグローブだって最初は右利き用しか買ってもらえなかったので、野球は左右どちらでも出来ます。算盤は右で三級までやりましたし、毛筆は右手で初段までとった。でも普段書くのは左。マウスは右で動かしながら、左で字をかけるというのはとても便利です。


個人的にいやだなあって思うのは、腕時計を右腕にしていると、ドアノブを右で開ける時にぶつかって時計を傷つけてしまう機会が多くなること。しかも、新調したときこそやってしまうのですよね。

ランニングにおけるパブロフギア

今でこそGPSウォッチやスマートウォッチなんて選択もあるわけですが。90年代からランニングを始めた人間としては、ランナーならTIMEX ironmanというイメージが植え付いており、他のギアには見向きもせずにTIMEXを使い続けているわけです。


1万以下のデジタルウォッチとしては、CasioとTimexが双璧。耐久性と防水性では日本製のCasioに完全に軍配。レトロデザインのチプカシは大人気なわけですが。Indiglo照明の見やすさ、スポーティーなデザイン、ランニングをしようと思わせてくれる点ではTIMEXが優れている。結構、最後の点って大事です。真に走っているランナーが身につけてこそのTIMEXなんです。


まあ、実際にマラソン大会に参加をするとTIMEXをしている人は今でもそれなりにいるわけです。根強いファンがいるんですね。


先日、10年以上使い続けてきたTIMEXがとうとう壊れてしまい、ヤフオクで手頃なのを見つけ新調しました。


従来のTIMEXは腕を振るとIndigloライトが点灯するFLIX機構というのが付いているもので、夜ラン専門の僕としてはかなり重宝していたのです。ですが、今回のはFLIXが付いたものではありません。Essentialシリーズなので、余計な機能が削ぎ落とされているタイプ。もとより、FLIX機構付きのものは殆どないのです。必要性がないんでしょうかね?その程度億劫がらずに、点灯ボタンを押せとね。


同じタイプのものは、とうの昔に製造中止。後継機種は、米国Amazonでなら手に入るのですが、ちょっと値が張る。でもってメルカリをまめーに見ていたら、壊れてしまったタイプと同じものを発見。思わず買ってしまいました。まあ、見る人から見たらどうでもいいとは思うのですが、特定のタイプにこだわりがあるとこういうのは嬉しい。


やっぱり、週末は軽くてタフな時計を身に着けて、あくせく汗を流すに限ります。しかし、今年の夏は暑すぎる。基本的に、夏生まれで暑さには強いんですがね...