Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

安心感と無常観

年金支給を75歳まで繰り上げすると、80%が加算される。そもそも公的年金は支給金額が大してないから、65歳から支給されるより、75歳からもらう方が金額的に安心感がある。ただし、75歳まで働いて収入を得るアテがなければ絵に描いた餅。体力、気力、能力、稼得機会…これらを75歳までどう維持するか。

 


中で基本になるのが体力だったりする。結局、気力や能力は体力の上に成り立っているものだから、体力が衰えればそれ以外も自ずから下がってしまう。村上春樹さんがなぜランニングをし続けているかと言えば、長編小説を書き続けていく体力、気力の維持のため。

 

 

 

僕自身も大学時代に感染症で死に損なった身であるので、肉体に対する無常観はもともと強く、ことさら意識をするようになったのは独立事業主になった40歳の時。

 


一年ごとの契約。何かあったら自分はそこでお終い。プレッシャーに押しつぶされずに不倒距離を伸ばすには、体を維持しなければという意識が強くなった。酒はよほどの機会でない限り飲まない。筋力トレーニングやランニングもルーティンになった。

 


そんな自分から目についたのは、若さや肉体が有限という概念がなく、消しゴムのように浪費している人。果たして40代にして瞳の輝きも体の輪郭もぼやけ、50代で階段を駆け上がる体力も、未知のことに挑戦する気力も衰えている。一方で中小企業の経営者をしている義父は、70代半ばまでフルマラソンを走り、シャープな体と頭を80代半ばの今でも維持している。この差は、どこから生まれるのか。

 


それは大企業で終身雇用という羊水のように安心で快適な環境に長く身を委ねた結果なのだと思う。武勇伝のように健康診断の悪さをひけらかしながら、生活習慣を変えないという愚かなこともしない。なぜなら、自分の健康と能力に会社の命運と家族の幸福がかかっているのだから。

 


何かあると『安心・安全』。でもこれが無常観を忘却の彼方に押しやり、豊かな人生の終局を遠ざけているのであればこれほど皮肉なことはないですね。