「わしは、家庭のある男のしつこい誘いを心配しちょります。そういう男の口説き文句は、都会じゃろうがいなかじゃろうが、百人が百人、おんなじじゃ。女房とは長いことうまいこといっちょらんので、近々離婚することになっている。女房も同意しているが、いろんな事情があって正式な離婚には時間がかかる。それまでは辛抱してくれ…。賢そうな女も、みんなこの言葉に騙されますんじゃ。男が言うたからという一種の免罪符みたいなものが、女の心に穴を開けさせるのかもしれませんなぁ」
「この人は妻や子供を捨ててまで私と一緒になろうとしてくれているっちゅう甘い気分で我を忘れてつっぱしってしまいよる。だいたい長うて五年か六年で、そんな関係は終わるしかなくなりよる。男はなんやかんやと事情を並べて、女房とは離婚せんのです。当然じゃ。男は離婚する気なんか初めからないからです」
「そのうち、ふたりのことは女房が知るところとなる。男はどっちを選ぶか。百人のうち九十九人は、妻のおる家に帰りよる。残りのひとりは、よほどの馬鹿か、人でなしじゃ。九十九人の女は、ただ泣きを見るだけです。男のことで疲れ果てて、歳をとって…。男に経済力があれば、別れるときに幾分かの慰謝料も払いよるじゃろうが、そんな金では失った時間は取り戻せないのです」
流転の海、松坂熊吾が語る時代を超えた本質。
馬鹿か人でなしと一緒になっても先は見えている。人の不幸を無視できる人でなしは、きっとまた同じことをする。そもそも、人の悲しみの上に幸せを築こうだなんて。そういう人は本当の愛がない。
そう、真実の愛を求めているなら、そんな出鱈目を口にする輩に構うのは、人生の無駄なんだ。