『とにかく、いなかというところは、保守性や閉鎖性などという言葉でひとくくりにしてしまえない底意地の悪さがうごめいている。思いもよらぬ陰湿な噂話はたちまち広まるが、耳に痛い真実は頑固に拒否し、つねに数の多いほうに味方し、体制におもねり、権威に平伏し、人々の顔と腹はいつも異なる』(宮本輝 流転の海)
これは、いなかに限らず身近なところでも見られるムラ的なもの。
一見仲が良さそうなのだが、本音は異なる。お互いに闊達に会話をしているようで、大事なことはオブラートにくるんで何も言わない。誰が力を持っているかを探り、自分を曲げてそこにあわせに行こうとする。外れた人間は徹底的にいやな噂を流し排除しようとする。
そうなってしまうのは、個人よりも集団(ムラ)に価値を置き、そこに属する自分に意味を見いだす人間が体制を占めているから。そうした人たちは、自分を変に抑制している分、とかく人に批判や妬みの気持ちを抱きやすい。農業を中心として共同体生活が不可欠な田舎ならそれもやむを得まい。ナレッジワーカーにおいてその発想は実に意味のないこと。
いまだに企業ランキングやそこに従属、関係することが自身の価値だと信じて疑わない人が多い中では、ムラ的な考えはいまだにマジョリティなんだろう。自律した個人の集団というのは、空気を読みに行ったり、人を変にやっかんだり、掟などで縛り合わないものだからね。