Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

体育会だけど体育会が苦手

中高のと大学の部活動で一番違和感があったのが、上級生と下級生の関係性であり組織の慣習だった。


中高は指導者もいない、創立以来対外試合の勝ち星すらもないという野球同好会。勝つことを至上命題にしたチームとは程遠く、極めて牧歌的。上級生下級生の関係性は近く、仲が良かった。


上手くはなかったが、好きだったので大学でも野球をやろうと思った。とはいえ、浪人生活で劇的に視力が落ちたこともあり、最初に入ったのは体育会ソフトボール部。同期は多く、女子ソフトがあったこともあり、雰囲気は明るかった。とはいえ、層が厚くレギュラーになれそうな見込みは、とうぶん見えなかった。現実的に見て、現役最終年でレギュラーというところ。


3年も控えで我慢して活動をするという選択肢はなかった。就職のために我慢をして体育会を全うするのだという人間もいたが、ソフトはフィールドが狭くてせせこましいのも性に合っていない。野球とは似て非なるスポーツ。部活動はあくまで自分が楽しむため・・だ。忍耐を学ぶことが部活に入った理由じゃない。1年で退部し、次に入ったのは、準硬式野球部だった。


中高軟式野球だったから、準硬式は馴染みやすい。(コルク芯が入った軟式ボールを準硬式という)しかも、同期が一人しかいない。同じくソフトボール部を辞めた同期を誘い入部をした。


浪人で鈍った体も1年の部活で取り戻しており、入部するとスタメンで使ってもらえる機会も得た。だが、ここには古臭い上下関係の不文律みたいなものがあった。自分でやればいい細々したことを、いちいち下級生に顎を使ってやらせる・・上級生には、高校野球硬式野球部崩れが多かった。彼らは、下級生は上級生に暗黙的に従い、仕えるものだと考えている。野球は楽しく出来たが、仲間には馴染めなかった。飲酒を無理強いする飲み会と合宿での間接喫煙も嫌だった。

 

就職に有利だから体育会活動をしていると同級生がいっていたように、体育会での就職は確かに有利だった。銀行、損保、生保、ノンバンク・・有名企業に続々決まっていく。当時はバブル景気の最中でもあった。


でも、うちに疑問が湧いていくるようになった。上級生だからといって人を顎で使うような人間や、自分の気持ちを押し殺して忍耐して物事に臨む人間を評価する企業とは、一体何を大事に考えて人材を採用しているのだろうか? おおよそ合理的ではない理不尽な慣習が多くはびこっているに違いない。僕は体育会のコネクションを使った就職は一切やめた。リクルーターにも会わなかった。そういう企業には関心もなかったから。


果たして入った会社は就職は、変な上下関係もなく、理不尽な慣習もない。飲み会での飲酒も酌の必要もない。自由かつ自己責任。新人だからといって変な下働きもなく、コンサルタントとして客先常駐し、日々学びつつアウトプットする日々。同期の様子を聞くにつけ、やはり直感は正しかったのだと思った。


最近入った20代の同僚の会社もとかく合理性に欠く風習があったのだそうだ。『私のいた会社、1週間経験してみてくださいよ(たぶん、出来ないでしょうから)』なんて言われることしきり。


大学時代に読んでいたドラッカーいうところのナレッジワーカーにおいては、そういう理不尽で非合理的な慣習に従う必要なんてない。定時に行く必要も、昼休みはかっきり1時間の必要もない。場所も時間もルールなんてクソ食らえ・・


なんだかんだ日本企業は、いまだにゲマインシャフトゲマインシャフトとは、血縁や地縁で成立し、同じ思想、便益で結びついている運命共同体。簡単に言えば、『ムラ社会』。僕が嫌いだった、体育会もゲマインシャフトムラ社会においては、入るためのイニシエーション(儀式)があり、下っ端においては奴隷的な扱いをさせることが多い。企業が行っている年次管理なんて、学校の学年で扱いを決めているようなものだからね。しかしなあ・・・


欧米企業は機能、目的合理のゲゼルシャフト。かつては人間関係を重要視する日本企業に劣後を仰いだが、ベンチマークして改善している。その点で、組織人事・マネジメントにおいては、もっとも差がついている。


僕は体育会での経験で『体育会ムラ社会』にいたら耐えられないということが分かっていたので、そういう組織にはいたこともないし、いたいとも思わない。けど、それは本当に幸運だった。自分を自分らしくいさせてくれたから、今の自分があるのだから。