Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

正論という名の暴力

多様な価値観を認めることができず、自己が全てをコントロールしたい人がとる行動の一つに、相手を正論で殴るという行為があります。

 


正論だからそれに従うべき、従えない人は間違えている。あってはならない。この論法は、相手の存在を正論という名の下になき者とすることです。

 


間違いを犯さない人などいない。人は完全な存在ではない。それぞれの人が持ち味と苦手なところを持っている。それを認め合って補完することが大事なことであり、それには相手を尊重しながら問題について対話を重ねていくことが必要となります。

 


ただし、そこにあたっては忍耐が不可欠。もっといえば、自己犠牲の隣人愛が求められます。隣人愛のない人は、対話などは試みようとしないでしょう。正論という暴力で相手を背後から刺して抹殺しようとするだけです。

 


こういう人がリーダーとして上に就いている組織は、とても息苦しいですね。独裁者が支配する恐怖政治そのものです。

 


こういう手段を執りたがる人の特徴の一つとして、『育ちの悪さ』があります。これは経済的なものではなく、精神的なものだと言っていい。人に愛されて育ってきていること、人と比べるのではなくそのままの自分を受け容れている人であること。歪んだコンプレックスを持っていないある種の純粋さなのだと思うのです。