秀才とは、Do things right が得意な人。正解、ルール、相対性の世界に生きる人。
天才とは、Do the right thing を求める人。Rightはその人の中にある美学であり、ビジョン。そこには相対はない。あくまで絶対的なもの。
天才は、秀才の存在などは気にもとめない。相対観で生きていないから。むしろ、行動において規則やら秩序をいちいち持ち出す秀才は、自由を縛る面倒な存在程度に感じているくらいだ。それすらもノイズ程度にしか捉えない。
一方で秀才は天才に深い嫉妬を抱く。努力では自分に到底かなわない領域を持っているから。深い嫉妬心がいよいよ深くなると、秀才はルール遵守や秩序、利益確保といった『正論』という暴力で天才を攻撃してくる。そこに反論できる『凡人』はいない。迎合するのがおちだ。
そして、天才は秀才に殺されるのだ。
イノベーションが起こせないといっている組織は、クレイジーさをもった天才を秀才が放逐する組織。秩序を維持することや相対的に上に行くことが、正しさであり美しさだと信じて疑わない学校秀才の跋扈する組織なのだ。