Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

自分軸で生きるということ

周囲の期待に応えたい。自分の事よりも、周囲の期待に応えることが信条・・それこそが私の喜びなのだという人がいます。


一見、素晴らしい考え方のように思えます。でも、その期待に応えようとしている本人は、意外と幸せそうではありません。なぜならば、自分の存在価値を相手の反応に委ねているからです。簡単に言えば、自分の価値を他人軸で測っているからです。


相手のために頑張るという局面も分からなくもないですが、他人の見方に自分が翻弄されストレスを受け続けるのは本末転倒。相手の”感情”はコントロールすることなど決して出来ないからです。コントロールできるのは、自分のモノの見方と行動だけ。その行動をどう受け止めるのかは相手次第。良かれと思って行った行動だってネガティブな感情になることだってあるわけです。ここに目的、価値をおいて一喜一憂していると自分が無くなっていきます。行動だって続かない。引いては相手を幸せにも出来ない。


このパラダイムから抜け出るには、自分の価値は自分で決めるという根本に立ち戻るしかありません。ですが、それをさせない心のブレーキがあり、そのブレーキを外していくことが必要になります。


一番大きいと思われるのは、幼少期の原体験です。自分の行動により親のネガティブな感情の反応を何度も目の当たりにする、さらには自身が感受性が高い人だった場合、人の期待に応えなくてはいけない、感情を損ねてはいけないという呪縛にとらわれてしまっている可能性があります。その呪縛が、大人になっても他者に置き換えて続いている。

 

他者の期待に応えられなかったことは、何も悪いことではなかった。応えられなかったとしても、それは相手の問題であり自分の問題ではない・・ここを書き換えていく必要があります。そして、他人の期待(=ポジティブな反応)が自分の価値ではなく、自分の行動にこそ価値がある、という原則に変えていく。


アドラーが、自己受容→他者信頼→他者貢献と言っているのは非常に理にかなっています。他人軸で生きてストレスをためている人は、自己受容と他者信頼がすぽっと抜けて、他者貢献だけをやろうとしている。自己受容と他者信頼が出来てこそ、他者貢献を行って幸せを実感できる。自分の夢は自分でドライブすることによってもたらされるということなのだと思います。