Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

体の中の生態系

小さな池には、水草が生え金魚が泳いでいる。水を入れ替えている訳ではないけど、水は適度に清浄に保たれている。水草のおかげだ。生えた水苔は金魚の餌になり、水草は酸素を生み出す。このお陰で金魚が死ぬことはない。循環生態系が成立しているのだ。

 

 

 

だが、この池に毎日汚水を僅かでも流し込み続けてたらどうなることだろうか?まず、水草や苔が死滅する。次には金魚が死んでしまう。そして池の水は濁った状態となり澱んだ水に生きられる生物しか生息しない場所となる。

 

 

 

これは人間の体と同じなのだと思う。

 

 

 

運動もろくにせず、酒や煙草、油っぽい食事に塩分の濃い料理を取り続けたらどうなるか。そうすると免疫機能が低下をしていく。免疫機能は病原体を撃退したり、ガン化した細胞を修復する働きをしている。この機能が低下をしたことで、澄んだ水に住む金魚ではなく、泥沼に生息するザリガニの池になったのがガンとでもいえる。

 

 

 

ザリガニを取り除けば問題は解決するわけではない。金魚が生活できるように苔や水草を復活させないと、ザリガニしか繁殖しない。ザリガニが死滅する薬を撒いても、金魚が生活できるわけではない。ましてや、苔や水草のようなデリケートな生物は繁殖できない。

 

 

 

長年、汚し続けてきた池の水を綺麗にすると同時に苔や水草を戻せない限りは、問題は解消しない。いくらお金と時間をかけても、異常を来した免疫機能が回復させられないと元の木阿弥なのだ。

 


このことはもっとしっかり教えておいた方がよいのだと思う。だが、今のガン治療法自体を否定するものでもあるから、本質的なことは誰もしっかりと伝えてくれない。外科手術、放射線治療抗がん剤治療…どれも免疫機能に焦点を当てたものではない。

 

 

 

オバマ大統領が絶賛したという小林主任研究員が開発する光免疫療法はまさにそれに該当する。とはいえ、池の水を汚したからこそ免疫機能が低下したことを思えば、体という生態系の維持こそが一番大事なことなのだと思う。

責任者の使命

20代の頃はプロモーションにこだわって仕事をしていた気がする。最初の転職先では、業界違いのプロジェクトで最初は苦戦するも、様々な人に積極的に教えを受け、結果として様々な人を繋ぐ存在としてマネージャーにスキップで昇格した。29歳の時だった。

 


せっかく昇格させてもらったものの、ITコンサルタントは僕の志向性には合っていないと思ったので、マネージャーは卒業証書だとしてドメインを戦略に変えた。その後にシニアマネージャーに昇格したけど、組織・人事がやりたかったのでマネージャーにグレードダウン。

 


その後は、リクルートの業務委託社員となったので肩書きとは無縁の世界。前職ではシニアマネージャーとして正社員でカムバックしたけど、マネージャー近辺を20年近くうろうろしていることになる。

 


キャリア領域を専門にした人間としては、早くに昇格したことも、業務委託でノンタイトルになったことも。同僚のやっかみで昇格確定から足を引っ張られステイになったこともその全てが貴重な経験。

 


千載一遇の機会を逃し下野した人間からすると、人の上に立つなどということは、もはや彼岸のことくらいに捉えていた。

 


そんな中で声をかけられた新興ファーム。組織立ち上げを奮闘した1年がたち、何とか目鼻が立つ状態にまでになった。そして、小さな組織を牽引する責任者を担うことになった。

 


責任者というのは自分の力で組織メンバーの人生や幸せが左右される立場。嬉しいことでも何でもなく、身が引き締まる思い。どこまでできるか分からないけど全力でやってみたい。これも何かの巡りあわせであり、ご縁でしょうから。

執着心と学び

新人スタッフの友人が、僕等の組織に真剣に入ることを考えているので会ってもらえないですか…という。学生時代は組織・人事系のテーマを研究していて、メガバンクに入ったのだがオペレーションワークばかりで専門性が身につかない…改めて組織・人事を専門とした仕事がしたいと思ったのだとか。

 

 

 

責任者の僕が最初から会うより、まずは他の人に会って判断してもらうことにしました。

 

 

 

初回にあってもらったスタッフは大絶賛。次に会ってもらったマネジャーからは歯切れの悪いコメント。ケース面接の回答もシャープでコミュニケーション能力も高い。でもコンサルティング会社の仕事をイメージ出来ていない。ましてや、組織・人事系での学びということも直近でしているわけではどうやらなさそうということでした。

 

 

 

環境を変えれば自分が変われると思う一方で、自分で自分を変えるために学びをしている人じゃない。きっと、依頼をすればその範囲でソツなく仕事はこなせるのでしょうけど。まあ、メガバンクの駆け出しでオペレーションワークするなんて、当たり前なので情報収集力にも疑問がつくのです。

 

 

 

こういう執着心のない優等生タイプは大きなファームで育成体制やしっかりしたプロジェクト体制が組めるところなら、いいのでしょう。要は環境の整ったところです。一方で自律的に自分のやりたい環境を創り出していく状況には不向きなのかな。

 

 

 

僕のいるようなベンチャーですと、志と執着心をもって情報収集や学習をしている人じゃないとね。学びというのは、自分を変えていきたいということへの意思の発露ですからね。

人生は人生ゲーム

こち亀」にはなかなか本質を突く名言が多いわけです。

 


…個性とか言っているくせに安定した大企業に行く。人生なんて『人生ゲーム』だから、ドンドン突き進んでチャレンジした方が盛り上がって面白い…

 


ってまあ本当にその通りだと思うのです。

 


結果として後に大企業になった会社もあるけど、コンサルファームは所詮は小所帯。上になると事業責任を負うので中小企業の社長と同じ。一つの会社でコツコツ上に行くとか性に合わないし。だいたいね、個性を曲げられない人間は大企業は向かないのよ。

 


でも、ライフシフト、マルチステージキャリアって両さんの言っている世界観だよね。

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シニア論はダイバシティじゃない

中高年層を活性化させよう…という論点はそもそもおかしいと思うのです。自律軸とスキル軸の4象限で見たときに、両方とも低い象限の人をどう対処すべきか?が論点であり、年代層でどうこうする話じゃないと思うのです。

 

 

 

割合的に両方低い層が50代に多いというのなら分かる気もします。でも本当にそうなのかな?きっと可視化すらできてないはずです。両方高い人がプロ人材だとして、30代であっても大して高くないのでは?

 

 

 

早い年代から両方低い人をほったらかしておき、次第にその層に振り分けられる人が多くなり、それをようやく50代でなんとかしたいというのは、もはやキャリア論で何とかなるもんじゃないです。人事における評価や代謝機能の問題です。本来なら、可能性の限界が見え引き取り手がいる年齢の時点で対応するのが筋です。

 

 

 

日本って何でも年齢ひとくくりにして論じる傾向にあるけど、止めた方がいいと思います。ジャーナリスト上がりで働かないオジさんというメッセージを喧伝しているS教授の論などは、とても嫌気がさします。世代で一律のレッテルを貼るのはダイバシティとはおおよそ対局の考えだと思うからです。

 

 

 

僕はそういう観点でリクルートにかつてあった38歳定年制のポリシーやネガティブなこともきっちりフィードバックできる組織文化やマネジメントは素晴らしいと思います。

 

そして世代論で人材を片付ける乱暴さを生み出している現況は、人材を可視化できていないことにあると思っています。

評価の憂鬱

組織で働く上でつきまとうのが「評価」。自分がどれだけ価値を出した、貢献をした、家庭を犠牲に働いた・・結局は「評価」というものに集約されていくわけです。人が組織に忠誠を持つのも、不信感を持つのも全ては「評価」にかかっていると言っていいかもしれません。


かつて、プロモーションをかけて全身全霊で過ごした1年がありました。職位にこだわりがあったわけじゃないけど、家族のためにも収入を上げて安心させたかったから。


果たして実績は組織で過去最高で、ストレッチ目標を置いた組織目標の達成にも貢献。文句なく僕はプロモーションのはずでした。ところが、僕のプロモーションで自分と同格に並ばれることを良しとしない上位者が仕掛けた巧妙なロジカルハラスメントにより、僕の貢献は全てなきものとされ、挙げ句の果てには最低の評価をつけられることになったのでした。


茫然自失・・馬鹿を見たとはこのこと。


長い社会人人生で最低評価を付けられたなど初めてです。しかも、家庭を犠牲に最高の実績を残したのに・・です。僕は、そういうくだらない上位者がいる組織もそれを看過する同僚や責任者がいる組織にも。貴重な人生を費やすことは意味がないと思ったのです。で、未練なく組織を離れる決断をしました。


世の中、捨てる神あれば拾う神あり。価値のある仕事をして、そのことをしっかり言語化していれば、社内の評価は最低でもそれを評価してくれるところはあるのです。ユニオンや弁護士に相談して不当評価で裁判を起こしてもいいのかもしれません。でも、馬鹿な人間や組織に構うことは時間と労力の無駄だと思うのです。仮にその不正が糺されたとしても、その組織にい続ける義理も感情的、経済的なメリットもないのですから。


新しい環境での年度末評価。


正直、精一杯やったけど実績はそこまで劇的なモノを残せたかというとそうでもない・・そもそも、自分自身が本当の意味で貢献できたのかどうか・・。


でも評価は意外にも良かったりするわけです。理由は、新しいクライアントやサービスを短期間のうちに作り上げてくれたからだそう。自分では納得していないのでちょっと気持ちが悪い。


でも、基本はクライアントや未来の世の中をみて価値ある仕事をしていくだけ。学生時代から劣等生ではみ出し者の人間においては、評価から逆算した仕事なんて性にはあいませんから。

人生の意味

人生に意味なんてものはなく、空っぽのカバンのようなもの。そこに何を入れていくのかが重要で、ただの容れ物に意味なんて求めても仕方がない。何を入れるか入れないかは自分次第。カバンに入れたくなるような素敵なものを見つけてください。

 

 

人生というものをどう捉えているのか?という読者からの難しい質問に対する村上春樹さんの回答です。

 

 

 

僕は人生というカバンには、自分で選んだもの、変わったもの、美しいもの、自分ならではのもの…をなるべく入れたいです。人が入れているからとか、世間体とか、他人の評価とかそんなの関係なしに。

 

 

そうなると歩きなれたところを離れて、時にはする必要もない目にも遭いながら、珍しいものを探しにまだ見ぬ土地を歩くのだろうな…

 


そもそも若いときに死にかけた経験をしたから、生きることに意味があるって思ってますしね。