Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

評価の憂鬱

組織で働く上でつきまとうのが「評価」。自分がどれだけ価値を出した、貢献をした、家庭を犠牲に働いた・・結局は「評価」というものに集約されていくわけです。人が組織に忠誠を持つのも、不信感を持つのも全ては「評価」にかかっていると言っていいかもしれません。


かつて、プロモーションをかけて全身全霊で過ごした1年がありました。職位にこだわりがあったわけじゃないけど、家族のためにも収入を上げて安心させたかったから。


果たして実績は組織で過去最高で、ストレッチ目標を置いた組織目標の達成にも貢献。文句なく僕はプロモーションのはずでした。ところが、僕のプロモーションで自分と同格に並ばれることを良しとしない上位者が仕掛けた巧妙なロジカルハラスメントにより、僕の貢献は全てなきものとされ、挙げ句の果てには最低の評価をつけられることになったのでした。


茫然自失・・馬鹿を見たとはこのこと。


長い社会人人生で最低評価を付けられたなど初めてです。しかも、家庭を犠牲に最高の実績を残したのに・・です。僕は、そういうくだらない上位者がいる組織もそれを看過する同僚や責任者がいる組織にも。貴重な人生を費やすことは意味がないと思ったのです。で、未練なく組織を離れる決断をしました。


世の中、捨てる神あれば拾う神あり。価値のある仕事をして、そのことをしっかり言語化していれば、社内の評価は最低でもそれを評価してくれるところはあるのです。ユニオンや弁護士に相談して不当評価で裁判を起こしてもいいのかもしれません。でも、馬鹿な人間や組織に構うことは時間と労力の無駄だと思うのです。仮にその不正が糺されたとしても、その組織にい続ける義理も感情的、経済的なメリットもないのですから。


新しい環境での年度末評価。


正直、精一杯やったけど実績はそこまで劇的なモノを残せたかというとそうでもない・・そもそも、自分自身が本当の意味で貢献できたのかどうか・・。


でも評価は意外にも良かったりするわけです。理由は、新しいクライアントやサービスを短期間のうちに作り上げてくれたからだそう。自分では納得していないのでちょっと気持ちが悪い。


でも、基本はクライアントや未来の世の中をみて価値ある仕事をしていくだけ。学生時代から劣等生ではみ出し者の人間においては、評価から逆算した仕事なんて性にはあいませんから。