Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

ルーズヴェルト・ゲーム

七転び八起きという言葉がある。野球で最も面白いゲームも7-8。米国大統領ルーズヴェルトは日本の諺を知っていたのだろうか…

この『ルーズヴェルトゲーム』をモチーフにした池井戸潤の小説は、土壇場に追い込まれ、何度も逆転を目指しもがく、企業と実業団野球部の苦闘をスリリングに描く名作。アマゾンプライムで久しぶりにドラマ版を見たが、唐沢寿明や山口努といった名俳優を配したキャスティング。緊張感高いシーソーゲームの物語が躍動的に描かれている。何度見ても面白い。

世の中、正直者が馬鹿を見る、純粋な者が邪な人間に蹂躙されるということがいとも容易く起こる。だが、ゲームセットまで決して諦めず胸を張って闘う者の姿は、見るものに感動を呼び起こさせずにはいられない。

『逆転だ!逆転だよ』

難しい経営の舵取りに苦悩する主人公の細川に、会長の青島がエールを送る。一難去ってまた一難。廃部を余儀なくされた窮地の野球部を支えるエースは、冤罪を着せられて野球を諦めることになった派遣社員上がりの沖原。

トップがいくら言葉を発しても、社員は一体感を持ち得ない。私が野球部を作ったのは、奮闘する部員の姿に社員の皆が肩を組み、無償のエールを送るこの光景を見るためなんだよ…

山口努さん演じる青島会長の言葉が胸に突き刺さる。日本企業は、本来関係性や感情的な一体感の重要性をよく分かっていた。ダニエル・キムの成功循環モデルなんて、所詮在りし日の日本企業をモデルにしたものとしか思えないね。

恨みは仕事で返さない

『ある意味いいタイミングだったのかもしれないよ。もし、3年後に同じことを言われていたら、随分と違ったはずだ。確かに、君なら次には困らないかもしれない。でも、さすがに50代にもなっていたら違うだろう。今の景気の良さだって3年もたてば変わっているはずだ・・』

3年前のちょうど今頃。僕は創業期から一緒にやっている方にRグループを卒業すること、その経緯を伝えた。僕より大先輩だけど、同志とでもいうべき大切な方だ。

『凄い企業の受注を立て続けに取ったよな・・そんな中でな・・今の事業の中核だものな。ある意味、納得いかないところも多いだろう。恨みの気持ちもあると思う。でも、その不の気持ちを抱いたまま、見返してやろうなんて感情で次に行ったら、ダメなんだぜ。俺はそれで失敗したのだから・・』

『俺も編集長の立場にいたときに、引退を勧告されたよ。確かに、少々飽きていたところもあったので潮時かもという気持ちも2割くらいはあった。でも、幕引きは自分で決めたいと思っていた。でも、それは許してもらえなかった』

『それで、さっきの気持ちを抱いていったけど、うまく行かなかった。子供だったんだろうなぁ・・それを吹っ切ってから自分らしく働けるようになった。俺がRを卒業したのも君と同じくらいの年だったよ』

3年たって同じことを言われたら、どうなのか? 考えさせられる視点だ。

確かに、立ち上げの3,4年は凄い苦しんだけど、成長もした。でも、自分なりに型ができると、大型の商談であっても、多数社のコンペであっても、かつてのような労苦も無く、結果を出すことが出来るようになった。人前で話すことも、ドキュメントを作ることも、短い時間で上手くできてしまう。同時に成長が止まり始めていることを自分でも薄々気づいていた。そのままで、3年後になっていたら僕の価値は、年齢も踏まえると間違いなく下がっている。

『君は、独立しても出来る人であるはずだ。俺は色々な人をRで見てきたからね。そういう中でも、君は秀逸だよ。君には、ぜひ本を書いてもらいたいと思っているんだよ。貴方の筆力だったらできるはずだと見込んでいるのだけど・・・少しづつ、書いていけばいいんだよ。持っているものは沢山あるのだから・・そうすれば、独立しても十分やっていけるはずだ』

Sさんには、会うたびにお前は本を書けよ・・って言われていた。

3年後の今。僕は仲間たちと本を書く機会に恵まれた。そのご縁を作ってくれたのはRのOBでともに働いた方。

Sさんは昨年帰らぬ人になってしまった。まだ元気だったら刊行された本を届けたかった。約束は守りましたよ…と。

岡本太郎さんの教え

「自分を認めさせよう。世の中で自分はどんな役割を果たせるのだろうか...そんな事を考えるのは無意味だ。生きるとは本来、無目的で非合理なものだ。だから瞬間、瞬間、無目的に無償で、生命力と情熱のありったけを使い、全存在で爆発すればいいのだ」

岡本太郎さんは、その才能を最初は誰にも評価されなかった。学校での成績も振るわず、学校は中退を余儀なくされた。芸術の道で生きるようになっても、彼に対する批判の風当たりは非常に強かった。

若いときは、自分の生きている価値を見いだせず、自殺まで考えたという。その岡本太郎さんが逆境の中で苦悩し、見つけた境地。

人の評価とか世間の常識。自分が何かを決めたり行動するときに、自分の外にあるものにすがってはいけない。自分の中にあるものだけを信じていけ。

岡本太郎さんの作品は、他人に評価されるとかではなく、自分の中にあるビジョンを忠実に表現することに拘っている。見ていてものすごいエネルギーを感じるし、また爽快でもある。

本音で生きて、表現したり行動をすると時に誤解も生まれる、批判もされる。でも、他人の評価に身を委ねる予定調和の人生は、自分の人生じゃない。

「一番面白い人生とは、苦しい人生に挑み、闘い、そして素晴らしく耐えること。逆境にあればあるほど面白い人生なんだ」

岡本太郎さんの生き方は、大きな勇気を与えてくれる。

智者たる者の理

Stay hungry , Stay foolish.

One thing I know, that I know nothing.

前者は、スティージョブズが若いときに出会った「The Whole Earth Catalogue」という本に由来する言葉であり、スタンフォード名スピーチの最後を締めくくる言葉。後者は、紀元前の哲学者ソクラテスの遺した金言。

「もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。 なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである。」‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭3:18-20‬ ‭

3つの言葉が意味する本質は、どれも同じである。

人は相対的に上の位置に来ると、時にそれだけで智者のように振る舞ってしまうことがある。そのなれの果ては、裸の王様。会社組織の中には、昔取った杵柄だけを頼りに、智者を気取る裸の王様が跋扈している。

高い地位を目指すのは悪いことではないが、常に自分は無知で愚かであるという事を忘れると、目立つポジションが故に余計に醜態をさらし続けることになってしまう。相対性の世界ではなく、絶対性の世界に自己の目的を定めれば、それは防げるように思うけどね。

役があっても偉くない

しょせん組織から一時的に与えられた役割なのです。それによってその人が『偉く』なるわけでもなんともない。なのにそういうものを手にすると、いきなり変節して偉そうにする人っていますよね。

今までは、同じ目線にたって相談に乗ってくれたり、話をしてくれたのにいきなり上から目線。はっきり言って、好きじゃないです。そういう偉そうにする人はまるで偉くなんてないのです。

でも、そういう人の価値観って相対性の世界なんですよね。

誰が上か下か。賢いか賢くないか。規模が大きいか小さいか。その価値観において、自分は選ばれし民だと思い込んでいる。選民、優越、エリート思想。

こういう人の好む言葉。Top,Excellent…まあ、いろんな価値観がいてもいいと思うのですが、そういう人はエリートを誇る集団にいて悦に入っていればよろしい。そこからはみ出た立場において、その意識を振りかざすのはやめた方がいいと思うんだよね。

僕は、学生の時から落ちこぼれだし、トップコンサルティング会社の末席にはいたこともあるけど、エリートにはなれないし、なろうとも思わない。インディペンデントの期間も長かったしね。

企業の格とか、案件の大きさで価値を決めるのではなく、見えない真実を明らかにする、美しさを追求する、本当に困っている人に寄りそえる存在でありたい。むろん、理想だけではいけないとも思いますけど。

大人の魅力

本当の自信がなく、立場を脅かされていると感じている臆病者ほど、人を貶めることによって自分の立ち位置を確保しようとする。そこまでいかなくても、自分の思っていることを押しとどめ、権力者の言うなりになってしまう人は多い。

自分の中にある真善美の基軸よりも、相対的な成功、生き残りというのを選ぶのが大人になると言うことであれば、なんて魅力の無い生き方なのだろうか…

でも、自分らしさを大切に抱え、大人になっていくためには、様々な意味で強くなっていかなくてはならない。思った言葉を飲み込み、酒で気を紛らわせていたら、内外ともに自分は崩れてしまう。

フリーランスや起業家で立ち位置を築いた方においては、少年らしい志や情熱を変わることなく心に湛え、瞳が輝いている人が多い。彼らにおいては、自己の中にある大切なものを理解し、それを侵されない強さを持ち合わせているからなのだと思う。

大人になるということが、そうであれば素敵なのにね…

焼きが回る

焼き入れの際の火が行き渡りすぎ、刃物の切れ味が悪くなることから転じ、年をとるなどをして頭の回転や腕前が落ちるなど能力が下がることを意味する。

人は歳を取ると大なり小なりどこかに焼きが回るものだ。問題を防ぐには、そこを自認して不完全さを補うべく周囲からの助けを請うことだ。歳をとっても衰えないものもあるのだから。

実績、年功によってそれなりのポジションに祭り上げられると、自分が全能であると勘違いする。そして権力を持つ人間には真実の声が伝わりづらいという本質を解せず、裸の王様になってしまうこと。

こうなるといよいよ焼きの回りも早くなってくる。自分に都合の良いところだけを見て悦に浸る。少ない情報でバイアスを持って物事を判断する。問題は他人のせいにする。もっと悪くなると自分に聞き心地のいいことだけをいう人間しか周りに置かなくなる。

これが老害のメカニズムだ。

焼きの回りやすい人の特徴は、誰彼かまわず同じ話を何度もする。人の話を取り上げて自分の自慢話をする。興味関心が自分にしかない人だ。要は聞く耳を持たない人。

いつまでも純粋な心で周りのことに好奇心を持ち続け、謙虚な人でありつづけたいものである。