Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

改めてEQを学びにいく②

シックスセカンズジャパンが提供するEQアセスメントSEI。このアセスメントを活用したクライアント支援のプラクティショナー認定講座。開催は週末の3日間コースで今日は最終日でした。

 


初日は、アセスメントの解釈や理論的な説明、残りの2日間は結果を基にしたプロファイリングと受講者8名の実際の結果をもとにしたデブリーフィングの実践演習。

 


こうした演習は、クライアント役においては必然的に相当量の自己開示をするとともに、アセッサーの立場においては、クライアントの深層課題に降りていく対話を全身全霊で行うことなります。

 


2日間において30分×5回でアセッサーとクライアントをそれぞれ行ったわけですが、相手の心の声を聞き理解を促すという役回りはかなりのエネルギーを必要とします。今日は脱力感満載…

 


・効果的な質問を行い、クライアントに8割話をさせるお手本となるようなモデルケースだった

・ボイストーンや抑揚がよいので、気持ちよく会話に入っていくことができる

・キーワードを拾って問いから深い会話に膨らませていくところが良かった

 

 

昔はできなかった、聴くこと、相手の課題を見立て質問として投げかける力はずいぶん身についたのかもしれません。

 

 

クライアント役としての僕という存在は、検査結果が全般で極めて高かったということもあり、問題が分からなかった…と構えてしまうアセッサーの方もいたのですが、結果がよくても聴いてほしいテーマがある訳で、問題がないとデータ結果で決めつけずにどう踏み込んでもらうといいのか…を感じる機会にもなりました。

 


また、ある方が言っていたのは、僕は自分が心地よいこと、何をすることが幸せである…ということを明確に理解して人に言える人であるということ。翻って自分はどんな時が幸せか?ということを意識していなかったので、考えさせられた…そうです。

 


キャリアカウンセリングやEQは、僕が組織人事の道に踏み込む原点。改めてそのことを認識するとともに、今のフィールドで内にも外にも活用する、すべきミッションを負っているのだな…ということに気づかされたのでした。

演奏のようなプレゼン

ビジネスプレゼンテーションは、音楽演奏に似ている。どれだけ長い内容だったとしても暗譜をして、歌詞の世界観を頭にイメージして観客の顔を向いて歌っていかなければ、メッセージを相手に届けられない。

 

残念なプレゼンテーターは、資料に目を落とし、文字面を追って説明をする。相手に合わせ核心を掴んだキーワードを発せないので、相手の頭には何も残らない。

 

自分で作詞作曲をしていれば、暗譜が出来ないなんて事はあまりない。ところが人の作った企画書を使い回すことが常態化した人は、音符を追うだけの退屈な演奏を平然とやる。

 

こなれた人間であれば、人の作った企画書であっても、初見でメロディーが浮かび、相手に合わせたジャズ演奏ができる。

 

こうした基本を意識することなく何年もタスクを重ねたところで、習熟は全くしないもの。特に商品やツールが完成された環境に置かれた人はそうなりやすい。でも、根本として人に理解してもらいたい、繋がりたい、喜ぶ顔が見たいとするなら、音符を王だけの退屈な演奏を延々続ける愚はしないのだろうけどね。

Starting Over

ギプス&両松葉杖生活5週間、装具装着6週間。今日は、初めて装具を着けずに1日を過ごしました。

 


日曜日でしたが、日本橋で丸一日の講習。日本橋までの13キロの行程は自転車を選択しました。階段のアップダウンより、自転車の方が足にとっては遥かに安全かつ楽です。途中、ギアワイヤーが切れるトラブルはありましたけど、帰りにお茶の水で修理完了。やっぱり、今日みたいな日は自転車で都心を滑り抜けるのは快感です。

 


足首の柔軟性と筋力アップがこれからの課題。今までは、腹筋運動しかできなかったけど、腕立て伏せとか爪先立ちなど下半身を使うトレーニングもようやくできるようになりました。

 


10月末にエントリーしたハーフマラソンまでに、走れる体を取り戻すことが目標。とはいえ、装具のとれた1カ月は再断裂の危険性が高いらしいので無理は禁物。

 


新しい足で新たな旅が始められることを嬉しく思います。かみさん含め、家族、職場、多くの人に世話になりました。ほんと感謝です。

f:id:ishibahomare:20190616204044j:image

無知の知

本当の頭の良さとは、本質を押さえて複雑なものをシンプルに解き明かすことなのだと思います。

 


これが分かっていない人は、ごちゃごちゃと多くの言葉を並べたり、遠目から見ると綺麗に整理されているようで、その実よく眺めてみると何を言っているのか意味不明なドキュメントを莫大な時間を費やして作ってくるのです。

 


読む気もしないし、意味もわからないので本人に説明をさせる。この説明も全くよく分からない。

 


意味がわからない…と伝えると、本人は不服そうな顔をします。不服そうな顔をする理由は分かるのです。自分の頭の良さを自負しているから、その自分が苦労をして作ったものにケチをつけられることに精神が耐えられないのです。

 


こういう人に共通しているのは、説明をするときに相手の目を見ないことです。結局、自分のプライドを守ることが優先で、相手のことなど二の次、三の次。

 


こういう人は、素直になれないからいつまでも成長はしない。そして、本当のところは頭が悪いのだと思います。

 


One thing I know,that I know nothing.

 


ソクラテスは素晴らしいです。常にこの心構えなのだと思うのです。

仲間がいる光景

予定表が埋まっていないと落ち着かない・・という人がいます。僕にとってはあまりそれは嬉しいことではありません。何も予定が入っていないとき、自転車でオフィスに行って皆の顔を見ながら、おしゃべりをしたり、ランチに行ったり、仕事とプライベートの中間みたいな会話をするのが一番好きなのです。


考えてみたら、4月以降はそういう機会が激減しました。もちろん、僕が足の怪我をしたからということもあるのかな・・とも思ったのですが。案件の数がとても多くなったからなのです。それはそれでいいことなのですけどね。


いつも、朝から出張だったり打ち合わせ漬けだったり。今日は朝からオフィスに行けて午前は予定のない珍しい日・・


3週間前から乗れるようになった自転車でオフィスに行き、馴染みの顔がいないかな・・見渡しても誰もいません。かなり残念。やっぱり、会って話したい人が同僚にはいるのです。


でも、どうせいないよね・・と。きっとそういう思いも抱かせたのだろうな・・とも思うわけです。話したい、相談してくてもいない。ちょっとしたことを話せないで持ち帰る感覚・・


これだけは、はっきりしているのです。愛着を持った仕事をすることも大事だけど、誰と一緒に仕事をするか、それが何にも増して重要なことを。冒険の旅は、志を共にする仲間がいてこそなのです。辛いことも乗り切れるし、嬉しい時はその気持ちも際立つということが。


だから、気にしている仲間の姿が見えなかったり、元気がなかったりすると、なにか寂しい気持ちになるのです。

理解してから理解される

立場が高くなったから、周りとの距離感が拡がったわけではないのです。周りとの距離感ができたのは、『相手を理解する』ことを怠っているからに他なりません。

 


この状態を立場の力で解消しようなどと、もってのほか。逆効果です。俺の話を聞け…って、俺の孤独を癒やしてくれ…ってね。誰が聞くものですか。家族にだって相手にされません。聴いてくれるのは、お金を払って出入りできるバーのママかペットくらいです。

 

 

影響性の輪を拡げるためにすべきことは、相手との対話を重ねまず理解に努めること以外はありません。7つの習慣の第五『理解してから、理解される』なのです。

 


世のステータスの高い人において孤独な人が多いのは、相手を理解する前に、自分を理解させようとするからなのでしょうね。

 


歳をとると、自分の話を語りたくなるものです。エピソードがそれだけ蓄積していきますから、そして自制心が低くなるから。校長先生の話が長くてつまらないのは、必然性があるのです。老化のなせるわざですね。

 


心に残らないエピソードを壊れたレコードのように何度も人に聞かせるくらいなら、話を聞いて相手を理解し、喜ばせた方がずっといい。人や組織に携わるのであれば、一方的に話をすると影響の輪が縮むこと、対話を重ねた方が影響性の輪が拡がる…この原理原則を頭に留めていたいものです。

箱物もヒト次第

オフィスデザインを手掛ける設計事務所に勤めるM嬢。久しぶりにお会いした折に、最近手がけている幾つかの作品を見せてもらいました。


間接照明を取り入れたソリッドで上質な空間。今の最先端のオフィスは五感を刺激する空間として高級ホテルのラウンジやカフェのような3rd Placeに近いものに進化しているようです。


一方で、彼女がミラノで訪れたデザイン事務所のオフィス写真を見ると、歴史的な重厚さを持った、最新のマテリアルだけでは到底醸し出せない、質感のある木材で全てをあしらった芸術的空間に嘆息が出てしまうわけです。


オールドエスタブリッシュメントの企業が、五感を刺激するオフィススペースに入居するというのは、一つの時代の流れでそれはそれでいいことなのだろうと思います。でも、オフィスが変わっても人の働き方やマインドは変わることができているのだろうか・・というのが僕は気になるわけです。


きっと、変わっていないだろうと僕は思います。そもそも、組織構造自体が縦割りのピラミッド型ですから、カフェのようなフリーアドレスを取ったところで指揮命令の効率が悪くなるだけ。外形だけGoogleFacebookのようなレイアウトをとっても、まず機能しないのだろうと思います。結局、組織やマネジメント、仕事の仕方やマインドといった人間系も一新しなくては、最新オフィスの機能は活かされない。イタリアのデザイン事務所は、仔細に思想を感じさせるオフィス空間も、そこに集っている人間たちだってProfession。

 


3rd Placeとしてのオフィスであるなら、社員同士はカフェで友達と話すように、組織の枠を超え、カジュアルに本音をぶつけ合える関係性が担保されてなくてはね。


ポルシェやフェラーリを買ってもそれを乗りこなせるドライバーの技量というものがなければ、憧れのオフィスだってタダの箱。働きがいや生産性を向上させるなら、箱物もいいけど、人間系のバージョンアップがないとダメなんじゃない・・って思うのです。


僕の過去の経験では、眺めがよくて上質な椅子が置いてあったり、パーティションで仕切られた個室がある・・いわゆる贅沢なオフィスよりも、好きな仕事や尊敬できる仲間と働いているときのほうが、オフィスはシャビーでもモチベーションは高かったです。もちろん、どちらもあれば最高ですけど。