Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

背負った十字架

大きな転機に遭遇した方と一献をかわした。会社を超えた同志であり、恩人とも言うべき人だ。


好奇心が強く、幅広い物事に関心を持っているのがKさんの特徴。指向性や感性が僕と似たところがある。家庭の状況や抱えている問題なども似ていたりする。久しぶりの場に話は弾んだが、Kさんの深い傷はまだ癒えていないようだった。


クライアントとコンサルタントという関係を大きく超えた付き合い。かれこれ8年近くになる。前職での新規事業でのファーストクライアントだったKさんは、会社ではなく僕という個人に全幅の信頼を寄せ、様々な仕事を発注してくれた。発注額は累計で数億にはなるだろう。金額の大きさが信頼の大きさというわけではないのだが、僕もKさんの悩みに付き合い、大きく成長させてもらった。


サービスの種も何もなかった前職での新規事業。僕のことを破格のコンサルフィーで選定してくれたのがKさんだった。そこから、実績を積み上げた新規事業は大きく成長した。何もないときに、人が何を見て仕事を依頼するのか。それを肌で学ばせてもらった。


僕がプロ契約社員としての契約終了を通告されたとき、一番に報告したのものKさんだった。支援を継続できなくなることが、託してくれたKさんに一番迷惑をかけることだと思ったからだった。


違う会社であるにもかかわらず、Kさんは僕を鼓舞し、様々な支援をしてくれた。わざわざ、転職先を斡旋し社長を紹介し、面談をセットしてくれたり・・人の介在で面談に臨んだ経験など、前にも先にもないことだろう。


僕は、自ら見つけた新たなフィールドで経験を活かし、理解あるメンバーと共に再スタートをきることができた。Kさんは、契約を全て僕のところに切り替えてくれた。そうした会社は他にもあったのだが、ゼロからのスタートを余儀なくされた僕においては、仕事を発注してくれるということは、どれだけ大きな意味をもったことか。


そうして1年が経とうとしていた頃、僕はKさんから連絡を受けた。『聞いていただきたいことがあるのです。1年前の貴方と同じ状況に立たされることになりそうです』

 

聞けば、Kさんは組織リーダーの役割を更迭され、部下のいない役割に年度明けから変わることを告知されたのだそうだ。改革リーダとして身を粉に邁進してきた先での無情な意思決定。どうやら、急進的に改革を進めることに対して、快く思わなかった一人の役員が更迭の引き金を引いたらしい。彼の悲劇は、立場を擁護する実力者がいなかったこと。彼をよく理解する庇護者であった上長は、2年前に定年で組織を離れていた。僕のときと状況がそっくりだ。


彼の失意、落胆は大きなものだった。様々なものを犠牲にして、死にもの狂いで前に進んだ結果。会社を辞めたいと口にするKさんの気持ちをひたすら聞きながら、それでも長い目で見て理不尽さに耐え忍ぶことの意味も話した。


やはり、一つの会社に長くいた人において、価値を最大発揮できるのは、事情に精通し、社内人脈が形成された同じ会社にある。何より、失意のまま会社を辞めるのだけは止めて欲しかった。純粋に会社の哲学を愛し、事業に誇りを持つKさんを通じて僕もその会社のことが好きになったのだから…

実力主義とはいいながらも、個人の思惑が複雑に入り交じって物事が決まっていくのが組織。残念ながら個人の集まりである以上は、ルールや外形的価値基準より、個人の嗜好や損得といった利己の意思が時に優先し、形として現れる。

権力を持つ人間がこれをやるとたまったものではないが、人間の歴史においては権力者が自分を否定するものを粛清するという醜い行為は後を絶たない。ある意味、理念や経営哲学というのは、とかく利己的な意思決定や行動をする人間を戒め、組織の永続性を保つためにあるといってもいいかもしれない。


大きな転機に遭遇しながらも、却って以前よりも大きな活躍のフィールドを得た僕のことをKさんは心から喜んでくれていた。自分はまだまだトンネルを抜けていないけれど、またきちんと仕事が依頼できる立場に戻りたい・・


自分が抱える本当の苦しみを理解してくれるのは、同じような立場にある人間しかいないことをKさんは知っている。そして、僕等は転機に多く遭遇する可能性のあるミドル・シニアのキャリア自律支援がメインテーマ。自分に起きたことも、生きた学びとして昇華させていく使命がある。正義を貫いた人にしか、重い十字架は与えられない。だから、一緒に頑張りましょう…