Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

真実の鏡

ファッションに頓着する方ではないのですが、ファッションというものは体型の崩れや失われた若さを補完しているところが多分にあり、お金をかけない装いがフィットするようでありたいと思うわけです。


シンプルなデニムジーンズ、無地のTシャツ、スニーカー。お腹が出ていたらダメ、か細い二の腕でもいとつきづきし。それは、ハングリーさをなくし退化した大人の姿。やっぱ、ロックンロールだろ・・と。


とはいえ、基本はぐうたらでストイックな人間でもなく、ランニングや腕立て伏せをする習慣の結果、学生時代からウエストインチは29で変わっていなかったりするのがささやかな僥倖であったりするわけです。


別に家族には自身の習慣の意味などは昔から話すことはなく、風呂上がりに腕立て伏せをしたり、週末は夜中にあくせくランニングをしていると、『団欒の時間になぜあなたは2時間近くもランニングに行くのか?』とか『風呂上がりに腕立て伏せをするなど、汗をかいて意味がない!』といった非難をされるわけです。


これについて、細かい背景理由を説明したり、習慣と家族とどちらが大事かという論点で話すと、ロクな結果にならないことはわかっているので、そうだよなあ・・と頷きながら、いつもそろっとランニングには行っているわけです。


そのくせ、トレーニングのインターバルが空いたり、飲食が過ぎた結果、腰回りがフワッとしたり、腕のハリがないと、その時だけはツッコミが入るわけです。『もっと、昔のほうがたくましかった・・』とか『やっぱ、お父さんも中年だから仕方がないのかなあ・・』とか好き放題。うーむ、屈辱・・なんやねんあんたら。


子供に至っては、30年後の自分にも同じセリフを言ってくれよ・・なんて心の中で思うわけですが。まあ、真実の鏡ですから仕方ないですね。

台風の爪痕

猛烈な風に襲われた夜半過ぎの東京。台風の残した災禍の爪痕は大きく、我が家が面する緑道に植樹された木が倒れてしまった。


重機で姿勢を直し、残して欲しいという思いは通らず、伐採撤去の憂き目に。


毎日窓から見てきた樹木が撤去されてしまうのは、想像以上の喪失感。此処に来て15年。毎朝、窓を開けると大きく枝を伸ばした木々の様子を見てきたから。


そしてこの木々は、自然の調光機能も果たしていた。夏は、強い陽射しが居間に入るのを防ぎ、冬は葉が落ちて日光を届ける。5月には青々とした葉が芽吹く。木の変化をソファから見上げているだけで、季節を感じられた。台風前には、メジロが雨宿りに複数飛来していたばかりなのに。


家に戻るとすっかり木は無くなり、居間には形見の切り株。ここまで育つには、20年くらいはかかるそうだ。


新しい木を植えてもらえるのは、来年の秋になりそうで。しばらくは、窓からの景色をみる度に一抹の寂しさを味わうことになる。とはいえ、形あるものは何時かは無くなる。この程度で感傷に浸れるのは、幸いなのだけどね。

大人っぽくない

大学生の息子が友達2人と酒を飲んで、終電を逃したというので、都内の家まで友人ふたりを送ってあげた。まったく親切なことである。そういうときは勝手にオールしてりゃあいいのである。どうせ、予定の無い大学生なのだから。


『お前の友達なんだから、責任持って一緒に車で来ること…』と言って、4人でナイトドライブ。一人の子は、高輪の広大な屋敷でぶったまげてしまった。さすが、歴史に名を残すお坊ちゃま…


翌日、友人に再会した息子は、友人ふたりに『昨日の夜は、兄貴に送ってもらって悪いことをしたなあ』と口を揃えて言われたそうである。息子が「あれはお父さんだよ…」と言っても分かってくれなかったらしい。カミさんがそれを聞いて吹き出している。


挨拶したのは薄暗い中だし、車の中では、最近のカラオケ事情とか、オールはやっぱキツいよなあ、ジョジョ展来週最終日なんだぜ…なんて会話をしていたからかな…そもそも、僕のボイストーンは、息子より高くて大人っぽくないし。


自分でも分かってるんですよ。おおよそ大人っぽくないってね。

 

セカンドアドバンテージ

文章を書くことが昔から好きです。

パソコン通信で知り合った文通相手の女の子とは、1年半近く週に3回ほどメールを送っていましたし、恋人にはほぼ毎日手紙を送っていました。面とあっても、電話でもハッキリ伝えきれない考えや思いというものを、言葉に置き換え伝えていくことに、執着する性質だからと思います。

学生時代に一番好きだったのも論文を執筆することでした。興味を持ったことを調べ、筋道を作り、文章に起こしていく。とにかく楽しくやりました。その様子を見たのか、大学時代の指導教授は、僕に学生から大学への提言レポートを書いたらどうだ・・とある時勧めてきました。そのレポートは、変換性能の低い日本語ワープロを使って書いたこともあり、大賞を逃して3位というオチだったのですが・・


ですから、職業というものについて漠然としたイメージしかなく、大した情報量もなかったときには、新聞社に行けたらな・・なんて思っていたときもありました。結局、文章を書くことがアウトプットの中心になる職業にはつかなかったのですが、自分の力を活かした働き方を志向していた中では、その点だけはちょっと心残りでした。


ですが、クライアントにデータやロジック、シンプルな文章を入れ込んだスライドだけではなく、時には文章で示唆を与え動かしていくのもコンサルティングの仕事。戦略系に転換して以降は文章を書く機会が増えてきました。


自分が書いた文章が雑誌に掲載されたり、組織長からの発信文章の原稿になる。新聞社や雑誌社に入ることだけが、文章を書いて仕事をすることではない、自分の思いや考えを綴れる自由度としては新聞社などより今のほうが高いのではないか・・そんなことに、気付かされたりもします。


今回、たまたまご縁があって専門書のパート執筆と、ある会社の社長名で発信する文書のゴーストライティングを、ウンウン言いながらこなしています。(正確に言うと、積んだままにしていたのをようやく崩し始めたところ)


物書き専業にしては僕は筆力はないけど、コンサルティングというメインがあっての機会。趣味はセカンドにしておくくらいの気楽さでいたほうが、意外と機会は広がるのかもしれません。さあ、気分を切り替えて本業をしなければ・・

午後の日陰

母方の叔母さんの一周忌。久しぶりに同世代の親戚の子たちに出会った。初見、みんな歳とったな…と思う。妹も含め、玉手箱を少し開いたあとのような感じだった。前回にあったのは一年前の通夜。今日は、昼間で強い陽射しのもとにあったせいなのかもしれない。


僕は親戚の中でも長子だから、僕よりみな歳下だ。子供の時からそれぞれを知っている。20、30、40代…様子はさほどに気にならなかった。これが50代が見え始めた月日が落とす影の大きさなのだろうか。


一方で腰こそ大分曲がってしまったが、僕の母は容姿はさほどに変わっていない。生き方、性格、食習慣、遺伝…少なくとも老眼などに縁がないのは、母親のお陰かもしれない…


地球は回り、時は進んでいく。昔からの知人や友人に変わらない面影を求めてしまうのは、わがままなのかしら。だって、たかだか折り返し地点。老け込む歳じゃないでしょ。

体育会だけど体育会が苦手

中高のと大学の部活動で一番違和感があったのが、上級生と下級生の関係性であり組織の慣習だった。


中高は指導者もいない、創立以来対外試合の勝ち星すらもないという野球同好会。勝つことを至上命題にしたチームとは程遠く、極めて牧歌的。上級生下級生の関係性は近く、仲が良かった。


上手くはなかったが、好きだったので大学でも野球をやろうと思った。とはいえ、浪人生活で劇的に視力が落ちたこともあり、最初に入ったのは体育会ソフトボール部。同期は多く、女子ソフトがあったこともあり、雰囲気は明るかった。とはいえ、層が厚くレギュラーになれそうな見込みは、とうぶん見えなかった。現実的に見て、現役最終年でレギュラーというところ。


3年も控えで我慢して活動をするという選択肢はなかった。就職のために我慢をして体育会を全うするのだという人間もいたが、ソフトはフィールドが狭くてせせこましいのも性に合っていない。野球とは似て非なるスポーツ。部活動はあくまで自分が楽しむため・・だ。忍耐を学ぶことが部活に入った理由じゃない。1年で退部し、次に入ったのは、準硬式野球部だった。


中高軟式野球だったから、準硬式は馴染みやすい。(コルク芯が入った軟式ボールを準硬式という)しかも、同期が一人しかいない。同じくソフトボール部を辞めた同期を誘い入部をした。


浪人で鈍った体も1年の部活で取り戻しており、入部するとスタメンで使ってもらえる機会も得た。だが、ここには古臭い上下関係の不文律みたいなものがあった。自分でやればいい細々したことを、いちいち下級生に顎を使ってやらせる・・上級生には、高校野球硬式野球部崩れが多かった。彼らは、下級生は上級生に暗黙的に従い、仕えるものだと考えている。野球は楽しく出来たが、仲間には馴染めなかった。飲酒を無理強いする飲み会と合宿での間接喫煙も嫌だった。

 

就職に有利だから体育会活動をしていると同級生がいっていたように、体育会での就職は確かに有利だった。銀行、損保、生保、ノンバンク・・有名企業に続々決まっていく。当時はバブル景気の最中でもあった。


でも、うちに疑問が湧いていくるようになった。上級生だからといって人を顎で使うような人間や、自分の気持ちを押し殺して忍耐して物事に臨む人間を評価する企業とは、一体何を大事に考えて人材を採用しているのだろうか? おおよそ合理的ではない理不尽な慣習が多くはびこっているに違いない。僕は体育会のコネクションを使った就職は一切やめた。リクルーターにも会わなかった。そういう企業には関心もなかったから。


果たして入った会社は就職は、変な上下関係もなく、理不尽な慣習もない。飲み会での飲酒も酌の必要もない。自由かつ自己責任。新人だからといって変な下働きもなく、コンサルタントとして客先常駐し、日々学びつつアウトプットする日々。同期の様子を聞くにつけ、やはり直感は正しかったのだと思った。


最近入った20代の同僚の会社もとかく合理性に欠く風習があったのだそうだ。『私のいた会社、1週間経験してみてくださいよ(たぶん、出来ないでしょうから)』なんて言われることしきり。


大学時代に読んでいたドラッカーいうところのナレッジワーカーにおいては、そういう理不尽で非合理的な慣習に従う必要なんてない。定時に行く必要も、昼休みはかっきり1時間の必要もない。場所も時間もルールなんてクソ食らえ・・


なんだかんだ日本企業は、いまだにゲマインシャフトゲマインシャフトとは、血縁や地縁で成立し、同じ思想、便益で結びついている運命共同体。簡単に言えば、『ムラ社会』。僕が嫌いだった、体育会もゲマインシャフトムラ社会においては、入るためのイニシエーション(儀式)があり、下っ端においては奴隷的な扱いをさせることが多い。企業が行っている年次管理なんて、学校の学年で扱いを決めているようなものだからね。しかしなあ・・・


欧米企業は機能、目的合理のゲゼルシャフト。かつては人間関係を重要視する日本企業に劣後を仰いだが、ベンチマークして改善している。その点で、組織人事・マネジメントにおいては、もっとも差がついている。


僕は体育会での経験で『体育会ムラ社会』にいたら耐えられないということが分かっていたので、そういう組織にはいたこともないし、いたいとも思わない。けど、それは本当に幸運だった。自分を自分らしくいさせてくれたから、今の自分があるのだから。

コーヒーメイトが嫌い

コーヒーの味にこだわっているのに、なぜコーヒーメイトを出すのか。僕には全く理解できない。しかも、コーヒーメイトってトランス脂肪酸の固まりで、米国では発売禁止になっている代物。食物というよりプラスチック。

 

この観点で、スターバックスタリーズはさすがだといえる。スタバも一時期はコーヒーメイトしかおいていなかったけど、今ではミルクかノンファットミルクのポットを必ず置いている。本当は、クリームを置いて欲しいところだけど、クラシックな喫茶店くらいだよね。今どきそんなところは。


一方でエクセシオールやベローチェは三流。セブンイレブンなどもね。


高齢化社会が進行する中で医療費の支出を抑制することは国家課題。トランス脂肪酸入りの食物を禁止することは、冠動脈疾患を抑制する点で経済効果も含めて理に適っている。それ以前に、利便性だけのために消費者を犠牲にする姿勢はやめたほうがいい。そもそも、味が最低だしな。