Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

旅をする同志

”子供の時から思っていた。町に住んでいると、それはたくさんの人と出会う。しかし、普通の人たちは、 一生で真に気持ちがかよい合う人が、いったい何人いるのだろうか…?小学校のクラスの○○くんのアドレス帳は、友人の名前と電話番号でいっぱいだ。50人ぐらいはいるのだろうか?100人ぐらいだろうか?

母には父がいる。父には母がいる。自分はちがう。 
TVに出ている人とか、ロックスターはきっと何万人といるんだろうな。自分はちがう

 

「自分にはきっと一生、誰ひとりとしてあらわれないだろう。」「なぜなら、この『法皇の緑』が見える友だちはだれもいないのだから…見えない人間と真に気持ちがかようはずがない。」

 

ジョースターさん、承太郎、ポルナレフ、アヴドゥルに出会うまでずっとそう思っていた。アヴドゥルとイギーのことを考えると、背中に鳥肌が立つのはなぜだろう。それは、目的が一致した初めての仲間だったからだ。気持ちがかよい合っていた仲間だったからだ”(JoJoの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース 花京院典明の台詞)

 

自分の日頃考えていることや根底に流れている価値観や体験というものを理解してくれている人・・身近でもなかなかそういう人っていませんよね。


僕は、日頃の心象日記をつらつらと書いているわけです。それは、自分の思いを言葉に置き換えたいという思いとともに、もしかしたらそれを踏まえて誰かと繋がることができるのではないか?という淡い期待のようなものもあったりするのです。そして分かるのです、全てにおいては繋がれないけど、欠片欠片で繋がれる人はいるのだと。


中には、まめに読んでくれている奇特な人がいたりして。そういう人に会ってお話すると、昔馴染みの気のおけない友だちに会ったような、なんだか不思議と安心した気分になるのです。家族ですら理解していないようなことを理解しているのですから。でも、そうした気のおけない友達なんていたのだろうか・・


この台詞は、ある意味そんな気持ちを代弁してくれています。