Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

配慮と憐憫

松葉杖生活を長く続けていると、人の情に触れる機会が何かにつけ多くなります。何らかのハンディ、障碍、弱者に立った人がいたとして、その人にどんな態度で接するべきなのか?

 


実際にその立場に立ってみて実感することは、『憐憫の情』はかけてもらっても全く嬉しくないということ。むしろ嫌な感じがするということなのです。

 


眉をひそめ、哀れみの表情を浮かべ『まあ、なんて大変でしょうに』なんて全く言われたくない。だって、自身で可哀想だなんて思ってないんですから。アクシデントによる障碍を受容し、恢復に向けて淡々と過ごしている立場において、憐憫の情というのは、立場の上下を前提としたスタンスだからなのだと思います。そういう人は、優しい人だなんて欠片も感じないのです。もしかしたら、そうするのがエチケットだみたいに思っているのかもしれないけど。大きな勘違い。それであるなら、普通に接してほしい。

 


この人は素晴らしいなと思うのは、自分がその立場に立ったら?という想像の元にしてくれる配慮や言葉だったりします。

 


暑い季節に松葉杖にならなくて良かったですね…とか。

 


同じ痛みは味わえない、真の共感もできない。でも自分がその立場に立ったことを想像してみる。その上での配慮をする。それは、あらゆることにおいて大事なスタンスだと思うのです。