NewsPicsで特集されている沼田尚志さんのインタビュー。スーパーイノベーターの彼の生い立ちに迫る中で、青春期の不条理な病の出来事が出てきます。
中学時代に突如脳梗塞を発症し、三ヶ月も意識が戻らなかった彼は、一命を取り留めたものの重い障害を残した状態となります。懸命のリハビリを経たものの右半身が動かない。
青春を謳歌する仲間を見る度に絶望に襲われます。「この世から消えて無くなりたかった…」
そんな彼は、古文の担任だった先生の一つの言葉に救われます。『沼田はもっとあきらめたほうがいい』
それは、一見残酷な言葉のようであるものの、ネガティブな「諦める」ではなくて、古文の「あきらむ」が語源の、明るい光のもとでものごとを「明らかにする」という意味だった。
彼は言います。
"できることとできないことを明らかにする。野球やサッカーはできないのだから、そんなことをしようと思わなくていい。できることだけをやればいいというのが、先生のメッセージでした"
"これは自分の中で、大きな変革でした。そうか、ネガティブな意味ではなく「あきらめて」生きればいいんだと。だから自分で言うのもなんですが、私ほど「あきらめて」、ものごとを分けて考えている人間はいないだろうと思います。あきらめることで可能性を見いだしているんです"
できないことをあきらかにする、残ったものの中から可能性を見いだしていく。明らかにすることは、断念することではなく、未来に繋がる自分だけの道を歩むための大切な過程。
中高年のキャリア研修では、自分のことも、未来も全く文字に起こせない人が大勢います。だから、中途半端な未練だけを残し次にいけないのでしょうね。
それにしても、日本語というのは言葉の裏に真理が隠されているというのが何とも味わい深いですね。