Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

1ccの福音

シャーマンについて調べていたらこんな文章に出会った。それはシャーマンとしての7つの兆候。一つ目には、こう書かれている。

You have recovered, almost miraculously from a serious or rare disease, experienced psychosis or you have been struck by lightning.(深刻な病、難病、精神病、落雷などからほとんど奇蹟的に快復したことがある…シャーマンは魂の死と再生の経験をする必要があるため)


脳裏に浮かぶのは25年前の出来事である。(以下の内容は以前のものに加筆している)


「劇症型溶血性連鎖球菌感染症」―俗称、殺人バクテリア


罹患数は、年間200程度。死亡率が30%と高く厚労省が症例数の管理を義務付けている難病である。僕がこの病気に罹患した1992年当時には、この病名は確立していなかった。


腸腰筋膿瘍、および敗血症による多臓器不全というのが当時診断書に書かれた病名。この症例が日本で初めて報告されたのが1992年だったというから、その症例は僕だったのだろう。


僕の場合は、風邪に似た症状に始まり。高熱と腹部の激痛が3日続き。医者に行くと肝炎と診断されて即入院。


最初は「肝炎で1ヶ月入院・・あんた悪い遊びでもした?」なんて言っていた医者も。ただ事ではない変容を察知し柏慈恵医大に救急搬送。その時点で、腎不全、肝不全、肺炎などの合併症を発症。血圧上70。消化器も動いておらず、胃洗浄。意識は清明だったものの殆ど死に体。


この病気は進行が速く血中感染した細菌が血を巡って、内臓をほとんどダメにしてしまう。時間もとても短く数日の範囲。西武の森コーチの死因はこの病気だったといわれている。


その当時は、そんな症例は誰も見たこともない。慈恵医大では大勢の医者、インターンに囲まれた。問診と痛む腹部の触診を絶え間なくされ、ありとあらゆる検査をしたものの原因は分からなかった。開腹手術も、血圧が低すぎるので耐えられないということで体毛を全部そり終わた段階で中止。抗生剤投与で、その日の夜が山とされ集中治療室入り。(この判断は功を奏することになった)


ICUから出た後も、絶飲食、人工呼吸器、鼻から胃への管、胸部カテーテル、両腕に点滴、尿管への管。寝返りも打てないベットに磔の状態。医師からはこのままいくと、治癒しても慢性腎不全になる可能性があるとの告知。


それは、運動も出来ないし、寿命も短くなるし、結婚なども無理だと告知されたも同じ。天井だけを見つめる先の見えない日々。好転しない病状、やり場のない絶望感。


病状に変化が出たのは、ある出来事を起点としたところ。それは、僕の家庭教師をしていたお子さんの母親の訪問だった。彼女は、病室を何度か訪れ僕の足裏をマッサージし、ある水を置いて帰っていった。なんでも、フランスルルドの泉から湧いた水というもの。絶飲食だと思うが、なめる程度であればいいから飲ませてあげて欲しいと僕の母親に言伝していた。


医師には打開できない状況。わらにも縋る思いで母は言われたとおりにした。一週間あたりすぎた頃からだろうか。医師も首をひねる症例の好転が見られ。入院から40日後に後遺症も残ることなく文字通りの「生還」を果たした。彼女は、ベルナデッタという映画を快復の記念にとくれた。その本当の意味を分かるのは、カトリックに入信した20年後のことになる。


僕は自分をシャーマンとは思わない。けれども、その後の仕事選びを含む価値観が一変したことは確か。そして、スピリチュアルな世界や観念的なものにも関心が強い。そうしたことに感度の高い友人、知人も多い。


キャリアというのは自分が何のために生きているのか?その隠されたメッセージを見つけるためのもの。僕がキャリアをライフワークに位置づけた理由。元をたどるとあの時の体験にあったのではないか…と思っている。