Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

何時だって恋愛が第一

一昨年、息子3人を東大合格させたお受験ママの発言が話題になりました。先日も大学の仲間と子供の学校選び、恋愛についての話が出たので再掲します。

 

「受験勉強に恋愛はいらない」

 

僕はこの意見にはまるで賛成しません。でも、こういう極端な意見は、周りの人にそもそもの在り方を考えさせる役割を果たしているという点では、いいかなって思っています。僕のように人の考えはまず否定するところから考え始める、という捻くれた人間においては特に。

 

好きな人間の存在って絶対的なものです。学校や会社の位置づけは相対的なものです。相対的な世界をいくら突き詰めても、本当の意味で幸せになれないってことは、有名大学を卒業し、一流企業でエンディングを迎えようとしている定年間際の人を数多く見ていると良く分かります。

 

 

相対性の世界に身を委ねた人って、自分の好きなものがまるで分かっていないんです。そして、相対性の世界から足抜けを要求されたり、劣後におかれると途端に困ってしまう。島耕作みたいにアバンチュールも楽しんで、会長まで行けりゃ話は別ですがね。半沢直樹だってそう。自らのアイデンティティをかけて仕事を完遂し、瀬戸際に追いやられながらも一発逆転...

 

でも、多くは東大、早慶を出ようがバブル組は厄介者扱い。熾烈な受験戦争と選抜を勝ち抜いてきたのにね。難関大学の理系出身でメーカーにエンジニアとして入った人なんて典型。学生時代から道を踏み外したことがない、でも組織論理でキャリアが断絶される。そこで初めて自分探しをしている。

 

しかし、東大というブランドを得るために恋愛をすべきじゃないって、強くなること自体が目的の武道家みたい。さっぱり意味不明です。好きな人のために頑張る、好きな人を幸せにするためにいい大学に入る、一流企業に入って高収入を得るというのが本筋じゃないかな。(それがまだ見ぬ人だとしても)

 

僕は、現役時代はエンジニア志望で工学部をいろいろ受けたけど出来が悪くて全部落ちちゃった。高校になって成績が凋落し、先生から専門学校じゃないと無理だねって最後いわれたくらいだったから。そもそも全く向いていなかった。

 

 

高校の時とても好きだった子がいて、その子は現役で女子大に入ったのです。その子には、告白してYesという返事をもらうも、想定外の制約条件付き。予てから親が決めた結婚相手がいるということだったのです。

 

大学もその先の未来すらも確定していない自分。家柄や資産があるわけでもなし。出来ることは、その子よりいい大学に入るということしか思い浮かびませんでした。

 

 

時間を投入してもさっぱり伸びない数学と理科。全部きれいさっぱり捨てることにしました。高校時代のことはゼロクリアし、私立理系から文系へのコンバート。偏差値は40前半。知り合いに誰も会いそうもない予備校を選んで、同世代の人間とは1年間は口をきくまいと決心して、実際にその通りにしました。合格して彼女に報告するまではと考えて。

 

 

果たして、視力はがた落ちするも、マシな大学に入ることはでき、彼女に報告することで目的は達成されたわけです。とはいえ大学に入って、彼女とはお付き合いをするも、長続きはしませんでした。きっと、当時の僕は青くて線が細く、物足りなかったんだと思います。ただ、振り返ってみると彼女の存在は人生の中でとても大きかったなって思ってます。彼女がいなかったら、そこまで自分を追い込めたんだろうかって...

 

 

少なくとも、僕の場合は恋愛のおかげで受験を頑張れたタイプです。東大ほど立派な学歴じゃないけど。