Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

支配ではなく分かち合う

アドラーは幸福の3条件として

1、自己受容:自分が好きだと思えて、自分にOKを出せる状態
2、他者信頼(所属感):自分だけでなく、他人にもOKを出せる状態
3、貢献感:自分が役に立っている感覚

を挙げています。そしてこの3つの条件が満たされることにより共同体感覚が生まれるとしています。

上下で人が人を支配するのではなく、水平的なつながりとして協力関係が成立している状態です。

僕が一番忌み嫌うのは、力で人を支配しようとする姿勢です。正しい論理、成功体験、職位のパワーで人を従属させていくこと。そこには、幸福感は決して生まれません。屈服させたものにおいては、顕示欲は満たされるかもしれませんが、そんなゼロサムゲームをすることに何の意味があるでしょう。僕が嫌いなのはボードゲームの『モノポリー』を現実でやる人です。

とはいえ、パワー欲求の強い人というのはどこでも一定の比率でいるものです。そういう性質自体は物事を前に進める推進エンジンになるため悪くないと思うのですが、偏ったパワー欲求を持った人は始末が悪い。彼らは、関わった人を決して幸せにしないからです。

もともとの素養、生まれ育った環境(満たされなかったコンプレックス)によって、支配欲求の固まりのような人が出現します。彼らの特徴は、上下関係をことさら気にすること、そして自分は上に立つべきものであるという『選民思想』です。

下にいる人を蔑視したり、嘲笑することで悦に入る。相対的な位置づけや最上の地位を必要以上に欲する。仕事においてメンバーとは、自己のエゴを叶えるための道具となります。メンバーは、無力で教え込むべき存在と決めつけていますから、コミュニケーションは一方通行で『自分の話』。相手には興味がないので、相手のことなど質問もしません。相手が聞いてきたら、ここぞとばかりに話すことはしても…

会社組織の上層部には、こういう人たちが多い。支配欲求を持ってタスクマネジメントを優位にさせていく人の方が結果を出すからです。

でも、そのパラダイムを優先させた結果として目の前に拡がっている光景のさもしいこと。そんな上の元で働く人に笑顔や幸せはないのです。自分の持ち味を発揮し、周囲に貢献するというかけがえのない機会も。

すべての目的は、人の持ち味を活かし、活躍の機会を創り出すことで世の中と個人を笑顔で幸せにすることにある。その上で、偏った支配スタイルは絶対にとってはいけない。奪い合いではなく分かち合い。

Discover the people insight.
Team for new adventure.

これが僕のビジョンです。

チームに属するか、リーグに属するか

マンチェスター・ユナイテッドに終生身を置く、就職したと考えるサッカー選手はいない。彼らは、プロサッカー選手として国を限定せず、トップリーグで活躍することを志向している。

トップリーグに声をかけてもらえるには、テクニックを常に磨いていなければダメだし、価値を目に見える形で示し続けていく必要がある。チームの合同練習など前者の要件を満たすには不十分。代わりは幾らでもいる。指定席なんて用意されていない…

コンサルティングは、新卒で入った時にリーグだと思っていた。だからチームに収まろうという考えは毛頭なかった。組織を誇りに思いつつも、そこに過度に思い入れたり期待をするなど気持ち悪い。活躍の場が十分でなければ、チームを変えていけばいい。

PwC、Deloiite…チームにはそれぞれ歴史があるけど、求められることは変わらなかった。それでも即戦力として期待されるチーム移籍はストレス。同時にストレッチのいい機会にもなった。

大きかったのは、ITから戦略、組織人事とカテゴリーを変えること。それは、ラグビーからアメリカンフットボール、そしてサッカーに変わるインパクトがあった。とはいえマインドとベースメントスキルは共通項。そしてカテゴリーを変えた人間だからこそ見れる世界がある。

人は何歳になってもやり直しがきくもの。家族を持ち、経験と実績をご破算にすることは勇気がいったけど、家庭があることを言い訳に夢や機会を諦めるなんてそこまでの夢なのだ。やれるものならやってみろ…

34歳の時にGCDFキャリアカウンセラーの資格を学んだ。それが組織人事への扉。受講最後にテキストに書いたキャリアビジョンは、現実に目の前に拡がっている。

そしてチームに属して働くのではなく、リーグで勝負するという感覚が今の僕を育ててくれたのだと、そう思っている。

人は環境の奴隷

人間が変わるには3つの要素しかない…と大前研一さんは言う。

1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目は付き合う人を変える。
 
最も無意味なのは「決意を新たにする」こと。

自分を変えたい…とか。出会いがない…とか。新しい自分になりたいとか。結局思ったり口にしたところで何も変わらない。

肥満の友人がいると2-4年以内に肥満になる確率は171%になる。ベトナム戦争の従軍兵の麻薬使用率は50%だったが、離隊後の使用率は1%以下。人間は、環境の奴隷であるということを如実に示すデータである。

ロクな異性との出会いが無かったり、自分のやりたいことができない、成長できないと考えるのであれば、真剣に転職を考えるべきだ。我慢して同じところにいて嬉しいのは、上司だけなのだ。

僕は浮気はしたことはないけど、会社との付き合いというのは比較的柔軟に捉えてやってきた。実際にそれでよかったと思ってる。

会社や専門テーマを変えることは、場所、時間配分、出会う人を丸ごと変えられる絶好の機会である。ポーカーでいえば、ロイヤルストレートフラッシュの役が作れそうだったら待ってもいいけど、ロクなど手札がない、目指す役を狙えないなら早いうちに全部交換するに限る。

でも、30歳を過ぎると臆病になる人が多いよね。そして、何もしない選択をする、5枚のカードのうち1枚だけを交換して役を待つという姿勢では何も変わらないのだよね。残念ながら。それって、犠牲を払うほど欲しくないというスタンスそのものだから。

No pain , no gain.

変化を恐れ、失うことを恐れ、傷つくことを恐れている人は、結果何も変わらないで不遇を嘆くだけなのだよね。

我慢して続ける意味

京都駅からクライアント先に向かうタクシー。暫く要件を済ませるべく電話で会話をひとしきり。

『いい声してますね。アナウンサーの声ですよ…』

電話を終えるとベテラン運転手の方にそう声をかけてもらった。嬉しいことである。

昨日はちょうど教会聖歌隊のソロ歌唱のローテーションだったこともあり、発声練習をかなりしていたこともあったのでしょう。

歌とか関係なく、輪郭がくっきりした通る声を出せることが理想なのです。その上で、お酒を飲んで大声で話したり煙草をのんでいると、声帯は確実に潰れてクリアな声は出せなくなると思っています。

小田和正さんは、今でも綺麗なハイトーンが出せます。どこかのインタビューで

・できるだけ毎日走る
・腹筋100回
・腕立て伏せ20回

を続けていると言っていました。やだな、と思っても我慢して続けるのだそうです。分かるな…

やっぱ、そうだろうねえ…きっと永ちゃんもそうだろうなあ。声のためにもトレーニング欠かせないよなあって思うわけです。

東新宿の風景

歌舞伎町の外れの東新宿にある新宿検診プラザ。施設一覧において『お勧めです』とかいてあり、空いていそうなので木曜に行ってみたのです。すると、建物も最新でスタッフもゾロゾロいてびっくり。

一般財団法人の施設なのですが、厚生労働省の外郭団体と言っていいわけで。ここに健康保険料が投入されて作られているんだな…と肌で感じて検診を受けてきたわけです。しかもですよ、1000円の食事券をバックしてくれる…過剰設備、過剰スタッフにキックバックか…

慈恵医大の検診センターより素晴らしいです。民間は到底太刀打ちできませんな。

肺活量って大学時代は6000ccあったけど、5000ccに落ちてるし…ウェストは73cmで変わってないけど、身長0.3mm下がってる…血中コレステロール高めだから、ご飯や甘いもの食べ過ぎちゃだめだな…

いつものように自転車で東新宿までいったのですが、この辺は新設のホテルが乱立。オリンピックを控えて急増するインバウンドの人を吸収するホテルは、こういうところに作られていたのですね…

分かり合いたい人

いくら言葉を尽くしても相手には分かってもらえないことがあります。
 
 
話せばわかるなんてことなんてないのです。話したってわからない。分かりあえない。人はそれぞれ違うんだという前提を置いて考えていくことが必要なんです。だって、パーソナリティだって、育ってきた環境だって、関わってきた人だって、置かれた立場だって違うのですから。そして、誤解だってある。思念が通じるわけでもないですし。
 
 
相手の立場になるなんてできません。相手の立場を想像して自分だったらどう思うか。それしかできません。そこから少し見えてきた相手からの自分を拠り所に、橋をかけていくことしかできない。
 
 
大事な人とのすれ違いは辛いものです。何とか分かり合いたいと思うものです。力でねじ伏せてしまうことも出来るかもしれない。でも・・
 
 
本当に相手が大事だったら待つ。待つことは愛がなかったらできない。待てない人って、男女の愛のレベル。支配欲だけ。
 
 
すぐに分かってくれなくても、いつか分かってくれることを信じて。どのくらいの時間が必要なのか。直ぐだったらいいけど・・そんな都合よくいかないよね。
 
 
色々な場所で僕は働いてきたけど。同じ志を持ち、ともに歩き、分かり合いたいと思う人がここには何人かいます。それはとても幸せなことです。

希望格差社会のリアル

人間は、今日より明日の方がよくなるという「希望」があるから生きていくことが出来る。

一方で世界は「希望を持てる人」と「希望を持てない人」の格差が大きく開いている。山田昌弘氏は2004年の「希望格差社会」で負け組の絶望が社会を引き裂くと述べた。最近のあまりに痛ましい事件とそれを自己の正当性のみで主張する犯罪者を見ているといよいよそれが現実になってきたとの思いが強くなる。そして、この現象は日本だけに限ったことではない。

ピケティが証明した資産家と労働者の所得格差の拡大。結局、この格差の拡大は、グローバルレベルで起きており、人々における希望の格差を生み出す。

希望を持てなくなった人たちは、自暴自棄となり犯罪に手を染めたり、テロ行為、見せかけの大義を掲げるカルトに誑かされるようになる。自由、平等、博愛の精神を掲げるフランスで起きたテロ。フランスは移民にも寛容だが、皮肉にも移民などの人たちは、「希望を持てない」人に転落する確率が非常に高い。もしくは、希望を持てる資産家にはどう頑張ってもなりようがない。

そうした人たちが、社会システムに疑問を感じ、理想国家の確立を掲げる集団に感化されてしまうのも分からないでもない。

希望を持てない、かつ宗教的なバックグラウンドを持つ移民が流入することを、防止することを表明しているトランプ氏は、差別主義的で僕は全く支持できないのだが、ある意味本質を突いているところがある。

自由経済の進展がもたらした格差の拡大。一時期のISISムーブメントは、皇帝支配で貧困にあえいでいたロシア民衆による共産主義革命にどこか似ているところがある。

とはいえ、共産主義という理想は結局、共産主義というシステムをコントロールする一部の特権階級による形を変えた集団指導的帝国主義に成り下がり、結局は失敗をしてしまう。人間というのは、結局我欲の自己増殖を抑えることが出来ず、覇道は淘汰される運命にあるのだ。

ただし、共産主義がすべて失敗しているかというとそうでもない。キューバという国は結構うまくいっている「よう」だ。貧しいながらも国民の幸福度は非常に高い。それは、共産主義の成せた技なのか、キューバの国民性の成せた技なのか。僕は共産主義にはまるで興味はないが、ちょっと気になったりする。