Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

オリジナリティの源泉

村上春樹さんは「オリジナリティについて」こう定義している。


・オリジナリティを見つけていくためには、「自分に何かを足す」のではなく「自分から何かをマイナスしていく」作業が必要である

・何を残して何を不要としていくのかを見極めていくためには、「それをしている時に、楽しい気持ちになれるか?」というのが一つの基準になる

・自由でナチュラルな感覚こそが、氏の書く小説の根本だが、その表現作業の根幹には、常に豊かで自発的な喜びがないといけない

・オリジナリティとは、とりもなおさず、自由な心持ち、制約を持たない喜びを多くの人に出来るだけ生のまま伝えたいという自然な欲求、衝動のもたらす結果的な形に他ならない

・純粋に内的な衝動というものは、それ自体のフォームやスタイルを、自然に自発的に身につけて出てくるものである。それは、人為的に創り出されるものではない

・頭の切れる人がいくら知恵を絞っても、図式を使っても、上手くこしらえるものではないし、たとえこしらえたにしても長続きはしない

 

面白いのはどのような職業であれ、内在する欲求や衝動を力に変えていくことが出来れば、オリジナリティある仕事につながっていくし、さらにはその仕事は長続きをするということ。


それは努力や根性といったもので足し算をするのではなくて、楽しい気持ちになるものだけを残すことで生まれるということ。


心がときめくものだけ残して後は捨ててください・・・片付けコンサルタント近藤麻理恵さんも同じことを言っていた。村上春樹さんと近藤麻理恵さんは、奇しくもTIME誌「世界で最も影響を与える100人」に日本人で選ばれている貴重な二人。その真理は一つということだね。きっと。

小さなサンタからのおてがみ

諏訪にあるお客様を訪問する際に必ず立ち寄るのが、タケヤ味噌会館。工場出来たての味噌の直営販売をしています。

諏訪湖が見える味噌会館は、豚汁も飲めて時間を調整するのにもってこい。で、ここで販売している「樽出し生づめ味噌」の美味しさに惹かれ、来るときにはいつも味噌をいっぱいに買って東京に戻っていました。僕が、ここの味噌が好きなのはお客さんもよく知っており、訪れる度に、『今日も買ったんでしょう?』と言われていたものです。

先週、久しぶりに諏訪を訪れる機会があり、せっかくなので自宅用といつもプロジェクトでお世話になっているM嬢とK嬢の分もおみやげに買っていきました。

二人とももって帰ったその晩に早速使ってくれて。K嬢は豚汁を作ったと見せてくれて、M嬢は小さなお子ちゃまがお味噌汁を美味しそうに飲んでいる写真を送ってきてれました。さすがウォームハートな同僚ならでは。こういうちょっとした心遣いが嬉しい。


そして、M嬢がお子ちゃまから託されたおてがみを今日受け取りました。そこには、先日のお味噌のお礼が書かれていました。僕の子供もこういう時ってあったな・・もう随分と昔のことだけど。小さなサンタさんからのお手紙に心が温かくなりました。

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日本語プロセッサーの重要性

日本語変換プロセッサーというのは、テクノロジーが進歩をしてもなかなか大きな能力向上が望めないものの一つ。

WindowsOS、MacOS、MS-Office、Google世界に名だたるソフトウェアメーカーが提供する言語プロセッサーのどれもが、20年前のAtokの性能に未だに追いついていないのは、実に残念なこと。


今やソフト業界における優位性の潰えてしまった、Justsystemが未だにその存在意義を持っているのも、日本語処理ソフトの卓越した性能によっている。

というのも、年末の大掃除で14年前のAtok16を見つけたので、いつも言語変換でイライラしている会社のPCにインストールをしたのです。Windows2000時代のものです。しかしながら、Googleよりも変換機能の賢さは遙かに秀でている。MSは言うに及ばず。動きも軽いし言うことなし。結局、日本語というものに対してグローバルメーカーは、全く重きを置いていないんだなということがよく分かるわけです


文章を書くのが好きな人においては、キーボードの打鍵感とともに、日本語プロセッサーの性能って大事だなと改めて思ったのでした。

ひとりぼっちが好き

一人でいることが結構好きな人間です。いつも誰かと一緒にいたいとか、気のおけない人がいたとしても、それと同じくらい一人の時間をもちたいと思っていたりします。

先日、「一人でいても平気な人の特徴」というYoutube動画を見ていました。そこには5つの特徴が挙げられていました。

1.没頭できる何かをもっている
一人が好きな人ほど没頭できる趣味を持っている人が多い

2.時間を大切にしている・やりたいことが明確にある
限られた時間の中でやりたいことが明確にある。このため、相手のことも縛らない

3.他人といると疲れる
人が嫌いというわけではないが、一緒にいると相手に気を遣いすぎてしまうがあまり一人を選んでしまう

4.他人に依存しない
誰かにお願いをしたり、相談することが好きでない

5.何でも言える親友がいる
心から話ができる親友がいるため、必要以上に人と関わる必要性を持っていない


確かに・・と思いながら見ていたわけです。僕の場合は、2、1、3はその通りだったりします。例えば、出張先などでフリーな時間が出来たとします。僕の場合は、景色を見に行きたい、ここの甘味処に行ってみたい、料理を食べてみたい。バスがなければ、ちょっと無理して歩いてでもいっちゃえ・・と。すぐにそういうことが頭の中に思い浮かんできます。

特に自分が見たい風景・・それも夕暮れの一瞬のタイミングにみたい、禅寺のお庭を時間の許す限り見ていたい・・そうなると完全に自分と趣味嗜好やバイタリティが一致しているひとでないと、相手は飽きていやしないかしら、歩くのは自分は体力的に平気だけど、この人は無理かな・・とか。目的も果たせないし、考えるのも疲れてしまう。

ですので、人恋しいがゆえにバーに行って誰かをひっかけるとか、女性のいるお店に行こうなんていう気持ちは、まず起きません。気の合わない人と一緒に時間を過ごす、ましてやお金をかけるなんてことには全く意味を見いだせないのです。

 でも、そうして自分の心に赴くままに行動し、気持ちも一人で抱えていられるかというと、やっぱり誰かと分かち合いたいという気持ちもある。人においては、自分の気持を満たすこと以上に、分かち合える誰かがいるっていうことが大事なポイントであり、SNSは人の本能である「分かち合い」を満たすツールなのだ..とつとに感じるわけです。

努力は功利 夢中は心理

『努力』とは、将来手にしたい目標や成果のために、苦痛を堪え忍び、力を尽くして励むこと。批判的な見方をすれば、好きでもないことを我慢して、将来得られる果実のためにやっている功利的パラダイムともいえる。


「努力をすれば必ず報われる」


そんなの常に期待しない方がいい。報われる事が前提の努力なんて、そもそも長続きしない。何より、報われなかったときに後悔が残る。それよりも、端から見て苦痛と見えることでも、本人が好きだから『夢中』でやっている方がいい。


「努力は好きだからやってるだけ・・で終わっといた方がええ」


明石家さんまさんはこう言っている。彼も、『努力は必ず報われるという』という考えに立脚した『努力』なんてやめた方がいい…と言っている。


キャリア論的にいえば、報われるからやっているのは外的報酬に基づく行動であり、好きだからやっているのは内的報酬に基づいている行動といえる。後者は、自分らしさに立脚しているから長続きするし、後悔を残さない。


『夢中』というのは、見返りを期待しては起きえない。為末大さんは、『努力は夢中に勝てない』と言っている。


期待もせず一心不乱に打ち込んでいると、結果は努力より確実にやってくるのもまた真理なんだろう。

女性品評が苦手

受付の子が誰がキレイでタイプとか。男の子の会話って何時になっても変わらないものなのね…以前の会社でよくあった。


と話す相棒のM嬢。


でも僕はそんな話一度もしたことないな。クラスでも誰が美人で誰が好きかとか…なんだかね、人をモノのように品評する、そんな立場に自分はないし、相手をぞんざいに扱っているような気がして。だから、そういう会話には入らないし、口にしたくもない。だって失礼じゃない?


想うことはあります。でも、口にするのは野暮ってもんです。ましてや特に女性の前でそんな話題なんて…


自分が女性だったとして、そんな話題の俎上に上がるだなんて、考えただけで耐えられません。頭固いのかな…

 

秒速5センチメートル

遠くにいる本当に好きな人より、近くにいる自分を好きでいてくれる人。

 

本当に好きな人との距離を縮めるのに必要な事は、時に自分の心に身を任せる強引さ。ただ、本当に好きだと相手を必要以上に崇高な存在と扱ってしまうことで、強引さは相手を汚す邪なものであると捉え、自分を縛り付けてしまい却って距離を縮められない。

 

邪であると捉えてしまうというのは、根源的に自分に自信がないことから来ている。邪であると位置づけ、行動しないことを正当化し、小さなプライドを守っているだけなのだろう。

 

深い孤独感は、自分を心から理解してくれる人がいないことより、自分が心を通わせたい好きな人が出来たこと、そのひととの距離によってもたらされる。

 

自分がもう少し強くなり、小さなプライドを脱ぎ捨て、相手を引き受けていく懐があれば…

人を好きになることは、無力感と寂寥感を抱えた少年が、大人になっていく上で通らなくてはいけない洗礼…

 

秒速5センチメートル

 

君の名は。』のパラレルワールド的な作品。エンドロールに癒やしの要素はなく、否定的な意見も多い。一方で、青春期の等身大の葛藤がリアルに描かれ、心の中にシンとした塊を遺していく作品。本当の意味での癒やしは、埋めきれない心の溝を形にして見せてくれるこちらなのかもしれない。