Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

好意をかわす『友人』というマント

男女間でも友情や友人関係というものは成立します。この歳にもなると、却って同性同士よりも話しやすさや本音が語り合えるという側面が異性の友人にはあるのだと実感します。

 


ですが、ことさら相手に友人であることを標榜しながら接する人というのは、異性としての相手の気持ちを巧くかわしながら、それでいていいところだけ持って行こうとする、ある意味での『狡さ』や『嘘』がどこかに混じっているように思います。

 


友人であれば、そんなことをいちいち言葉にする必要はない。言葉にするのは、相手の好意を牽制するためにいっているだけなのです。

 


ですから、そういう『狡い』『小賢しい』人とは、真の友人にはなり得ることはないのだと思います。ましてや恋人になる確率など微塵も無いはず。

 


だから、そういう人に心を奪われないように気をつけた方がいい。無駄だから。たいていそういう愚かな目に遭うのは、独身で孤独な男性であることが多いですが。

習慣の産物としての体躯

僕くらいの年代になってくると、その人の体躯というものがその人の習慣を表していると感じ入ることが多い。


体躯が崩れるだけならまだいい。高脂血症、高血圧、肝機能障害、糖尿病、痛風・・これらは生活習慣病と名付けられているけど、言い得て妙。先天的なものもあると思うけど、おおよそその人の『習慣』が病に至らせた原因であったりするから。因果律インサイドアウトの原則。食習慣は、「アウト」としての体に反映される。

 

そういう人においては、ダイエットに取り組んだり、食事の改善に取り組む・・いつか取り組まざるを得なくなる。


だけど、端で見ていると『習慣』は全く変えておらず、短期的なイベントに留まっていることに気がついてしまう。今日は、こんなことを頑張ったんですよ・・と。そういう人においては『我慢』や『頑張り』を掲しているのだが、習慣になっていないからこそ非日常の『我慢』をあえて掲げようとするのでしょう。そして、短期的なゴールが達成されると、習慣の力に押し戻されてリバウンド。


カロリーの固まりの酒なんて毎日飲む必要なんてないし、塩分と脂肪の凝縮されたラーメンなんて食べる必要もない。それが習慣になっていれば、誇ることでもなんでもない。


まあ、人の習慣とかってとやかく言う立場にはないけど、少なくとも他人に「自律」を説いている講師の立場に立つ人間が、煙草を吸ったり、だらしのない体を晒していること。それって、ぜんぜん説得力無い。そのことに気がつかないとね。


僕のあくまで個人的な考えなのだけど。結婚してステディが出来た以降は、飽食の限りを続けてブクブク太っちゃう男って何なのよ・・って思うのです。それって、相手の女性に失礼なんじゃない・・と。


GWで子供連れの夫婦をよく観察して見るのです。奥様はとてもスマートで綺麗にしているのに、それに引きかえ旦那の締まりの無い体・・あなたも奥様に似合う男になれよ・・なんて思ってしまうのです。

西郷山に見る豊饒の海

松枝侯爵邸は、渋谷の郊外にある高台の広い地所を占めている。その面積は14万坪。


庭の一角にはイギリス人が設計した壮麗な洋館がある。庭の中心には、紅葉山を背景にした広々とした池がある。池ではボート遊びも出来、中之島もある。紅葉山の頂には滝口があり、滝は幾重にも落ちて山腹を巡り、石橋の下をくぐり、佐渡の赤石のかげの滝壺に落ちて池水に加わる。池では鯉も釣れ、寒鮒も釣れた...松枝邸はもとより紅葉で名高かったが、桜もそれなりに見事であって、正門から八丁の並木には、松にまじって桜も数多い。


豊饒の海 第一巻 春の雪」に登場してくる主人公 松枝清顕の住む松枝邸の描写。これは、虚構なのであろうか・・あまりにも精緻であり、実際にモデルがあったのではなかろうか。


頭を掠めるのが代官山にほど近い西郷山公園。ここには、西郷隆盛実弟が住み、かつては洋館もおかれていたという。高台にあり、滝も池もある。侯爵家は、維新の立役者である鹿児島の出身という設定。


はたして調べてみると、小説の舞台となったのは西郷山公園にあった西郷邸だそうだ。洋館は、現在では昭和村に移築されている。まさに、小説に出てきたとおりの洋館。西郷山がある青葉台は目黒区だけど、渋谷にほどちかい場所。


先日訪れた鎌倉文学館の特別展「三島由紀夫 豊饒の海のススメ」、

これを機に改めて豊饒の海を読み進めているのですが、松枝邸がよく訪れる西郷山公園だったとは...足が治ったら、違う眼でこの公園を眺めてみようと思います。

鎌倉に住むということ

麻疹のような一過性の執着はいつまで続くやらと思いつつ。最近、細君は「鎌倉」にえらく凝っているわけです。


鎌倉に関するガイドブック、小説などの書籍を図書館から借りて読み耽ることこの半年で100冊近く。それに留まらず不動産情報もせっせと集めている。願わくば、東京の家を売って鎌倉に移住したいのだとのこと。


何件か不動産の下見にもおつきあいをさせられました。最近は週末もせっせと鎌倉に行っています。鎌倉近辺のトレッキングコースもいくつか行きたいのだそう。僕の怪我がなければ、新しいトレッキングシューズも買ったのに・・と。


僕は、もともと都会暮らしよりも田舎の方が性に合っているタイプ。都心で生まれ育ってきた彼女は、都会志向。新婚当初は僕が住居を決めたものの、それ以降は彼女に主導権を委ねています。こういうのは、「男のこだわり」とかそんなものは持たない方が万事上手くいくものです。


今の家は、南緑道に面しており林試の森公園を窓から望む好ロケーション。目黒にしては自然豊かな環境です。長距離「痛勤」もなく、自転車でオフィスに通える利便性。僕としては、書斎が持てる田舎に家を持った方が良かったとも思ったのですが、これはこれで捨てがたい。


確かに鎌倉は素晴らしい場所と思います。古都で昔ながらの風情を多く残している。小説家など多くの文化人が好んで住む場というのもよく分かります。ある面では、京都以上に風情があるともいえる。そして山だけではなく海もある。物価も安いし、確かに住んだらよさそうな感じ・・


とはいえ、僕の妻はなにせ熱しやすく冷めやすいタイプ。その場所は、長野であったり、小田原、世田谷であったりするので、どこまで続くのやら。僕としては、湘南新宿ラインがあるので鎌倉は都心に出るには便利だとはいえ、満員電車で東京にいくというのは、ちょっとそそられない・・会社勤めをしなくていい身分だったら鎌倉でいいのですけどね。

 

僕が目黒に家を買った頃は、地価が一番落ち込んでいたタイミング。その後、都心の地価は大きく上昇。田舎に広い家を手に入れることもあながち夢じゃないらしいですが・・

心の知能指数

先日、EIのアセスメントを受ける機会があった。

EI:エモーショナルインテリジェンス。心の知能指数。日本では知能指数のIQに対されるEQという言葉の方が馴染みがあるかもしれない。会社の同僚を通して知ったEIのアセスメントを受けたのは、もうかれこれ10年以上も前のこと。


頭の良し悪しよりも、相手の感情、自分の感情を理解し、それを使いこなせる知恵を持つことがビジネスパーソン、人としては大事な能力。

 

コンサルティング会社においては、頭の良さなら自他共に認める人は多かったが、対人感受性や共感性に著しく欠けると感じる人が多かった。だから、EIという概念、考え方には素直に賛同できた。そして、僕は当時のEQジャパンと呼ばれている会社のアセッサー講座を学び体系的にEIを会得する機会をもった。


10年以上経って受けた僕のEI。結果は、一つの成長を示す内容だった。


自分の心に対する関心やエネルギーを創出する力はもともと長けていた。でも、相手の感情理解や共感を引き出す力には多くの課題点がある・・それが30代半ばの当時の結果だった。きっと、僕は多くの人を知らないうちに傷つけていたのだろう。


IQは後天的には伸ばすことは出来ないけれど、EIは後天的に伸ばすことが出来る。自分の癖やそれが引き起こす課題を意識することで、実際確かに伸ばすことが出来ているのかもしれない。少しは他人の痛みを理解できる大人としてね。

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丈の差が生む嫉妬

嫉妬は、他人と自分を比較して引け目を感じたり、劣っていると感じるところから生まれる。こうした気持ちは、大なり小なり持ってしまうものだけれど、身近なパートナーに抱かれてしまうと始末が悪い。

 


根深いコンプレックスを自身が持っていると、相手に魅力を感じていればいるほど、自分と異なる異性に惹かれるのではないかという疑念が湧いてしまう。一度、持ち始めてしまうと、熱病のように決して晴れることがない。そして、猜疑の芽をつぶすために、相手の事を縛り付け、監視しなくては気が済まなくなる。外で他の人と食事をすることも気に食わないし、残業で遅く帰ることすらも気に入らなくなる。

 


そうしたことが原因で結婚前に分れてしまったり、結婚後に破局してしまった・・という人たちがいる。彼女たちは、社交性が高く、知的で魅力的。また、常識的かつ抑制的で古風なところも持ち合わせている。相手の性格を察して、必要以上に節度のある行動をとってもいる。

 


冷静に相手の事を理解していれば、猜疑が沸き上がるはずもなく、健気で実に愛すべき対象であると思うのだが、社交的で魅力があるゆえに、疑う気持ちを抑えられない。結局は我慢の限界がきて、破局に至ってしまった。男がその時にいくら後悔しても、時すでに遅し。

 


相手を信じ、自分に自信を持っていればそんな事は起きない。けれどそうもいかず、相手が魅力的であればあるほど、変な嫉妬は起きやすい。実に困ったことである。

 


そうしたわざわざ作り出した小説のような嫉妬に、相手が捉われているとするならば、行儀よくすることなどせず、本気で怒って皿の一つでも叩き割っていれば、馬鹿な相手の目も最悪の結末を迎える前に、覚めるのかもしれない。

 


とはいえ、コンプレックスを満たす虚栄心から相手の価値を感じていたのなら、本当の自分を見てもらえる人を、気持ちを切り替えて早く見つけた方が良いのだろう。嫉妬は身の丈に合っていない相手を選んだことで起きているのだから。

ポストランニングのエクササイズ

足のリハビリが始まったら、その後はどんな運動をしようか・・と考えているわけです。ガシガシ20キロを走るというのは、当面は先になることになる。40日間も使ってこなかった左足の筋力の恢復とアキレス腱の形成をまず第一に考えていくとなると、最適なモノは何か?


ロードバイクは通勤も含め、腱への負担も少ないので良さそうです。この生活になって思うのは、やっぱ電車やだなってこと。そしてランニングに代わるモノは、水泳かなと考えているわけです。


もともと、長距離走を完全なルーティンにするまでは、10㎞程度のランニングと2㎞程度の水泳をウィークリーでやってきたのです。30代後半くらいまでのことです。ストレスフルな環境になり、40歳になって業務委託社員になると事業立ち上げの局面もあって平日は時間を取ることが全く出来ず、ハイプレッシャーの精神状態の中で、週末に出来るもの・・ということで20㎞のランニングになったのです。そこに対して何か強いこだわりのようなものはなく、むしろ制約条件を加味した消去法的な選択でもあったわけです。そして、それがすっかりと習慣になった。


なので、走れないと凄いストレスでしょとか言われるのですが、そんなことはない。そもそも現段階では、腕だけで歩を進める「うんてい」のようなエクササイズを日常やらなければいけない状況なので、これだけで凄いエネルギーを使う運動だったりするのです。上半身の筋肉は使ってきたので、クロールなどとは相性がいいし、足に対する過度な負荷もないんじゃあないか。そして、いつも悩まされている首や肩の痛みだって水泳をしていたときは無かったから一石三鳥じゃあないか・・と。


2年くらい経てば、マラソンも出来るようになるでしょう。その時は、好きな自転車と水泳、ランニングのトライアスロンに切り替えるタイミングなのかな。そもそも、トライアスロンはマラソンより明らかに体への負荷は低いですからね。(アイアンマンレースとかじゃなければ)


そもそも僕はいい加減なので、同じ事をし続けることに対する強迫観念のようなモノはないのです。結婚して趣味志向がぜんぜん違う細君と一緒になってから、余計にそうなりました。まあ、与えられた環境の中で楽しめればいいんです。基本はね。