Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

「分かりました」は分かってない

「分かりました」とはいうけれど、何度説明しても同じような過ちを犯すし、習熟が進まない人がいる。


その程を確かめるために、「簡単に説明してみて」とか「紙に書いて見せて」というと、途端にしどろもどろで、中身もめためた。結局、「分かりました」という言葉は、曖昧な状態を明瞭にせずにして、その場しのぎに使っているだけなのだ。


「理解」というものは、感覚的なものを、言葉や形に置き換えて、表現することが出来なければ、本物じゃない。こういう人の「分かった」の基準って一体なんだろう。


不確定な「理解」を、試験の時だけ吐き出せば済む学生ならばそれでいい。でも、僕らは本質を捉えた言葉で、相手の心を打ち抜くことを仕事にしているのだから、その程度の「理解」で済ませてもらっちゃ困るんだよな。そもそも、曖昧な状態にふたをして、自分の心を欺いている生き方って罪だ。


でも、利口なふりをして「曖昧さ」に蓋をする、残念な大人って多い。それなら、知りたがりで愚かな子供のままの方がいい。まあ、そもそも興味や関心のアンテナが摩耗しているか、くだらないプライドがあるからその場しのぎをするのだろうけど。

未来の話をしようよ

定期的に二子玉で会っている高校時代の野球仲間との夕べ。今日は、夕刻の名古屋出張でたたでさえ遅れての出席が、東海道新幹線の全面ストップで更に遅れてしまい22時からの合流。


ダメかなあと思ったのですが、少しの時間でも会えて話せて何より。自由席立ちっぱで名古屋から戻った甲斐があったというものです。


僕は、高校時代の同級生とFacebookを通じて繋がっているせいか、同期の情報や様子を会う度に求められます。野球仲間は、SNSとか結構弱いんですよねえ。僕は、昔からパソコンマニアだったこともあって、IT系やガジェットは強いのですが…

 

会話において病気や健康の話が多く交じるようになるのは、世代なのかな。しかも、僕以外は老眼になってるし。普段僕は、病気の話題をすることも無く、老眼の人に会う機会も無いので、とりたてて年齢を意識をすることも無いのですけど…


転機やいろいろな悩みは尽き無い年頃ですが、いつまでもポジティブに未来の話をしたいものです。しかし、今週もメチャクチャ忙しかったな…

小沢健二と満島ひかり

Apple TVで公開されている映像。小沢健二満島ひかりさんの対談。とにかく、もう素敵な対談なのです。


テーマは、満島ひかりさんがアルバム「Life」と「刹那」を聴いて思い浮かんだ「雨の日の 傘の下の プライベート空間」(晴れの日にはできないあれこれ)という情景について語り合うというものです。


こういう情景を思い浮かべる感受性を持った満島ひかりも凄いと思うのですが、それに対して小沢健二さんが返す叙情的な散文朗読が素晴らしい。これは、物凄く高等なラブレターともいえるもので、聴いている満島ひかりさんは、弾けるほどに嬉しい気持ちを必死で押しかくしている様子が伝わってきます。


以下は一部の抜粋です。


"人に見られたい、と思う権力者は、アマチュアで、本当の権力者は、人に見られることを嫌う。世間に対して、バリアを張る。見られないことは、力の源。見られないことは、力そのもの。そう思ったりする。 


雨の日、街じゅうで、黒やピンクの傘が開く。その下には、そう、人に見られない空間ができる。傘の下で、人は、ちょっとしたパワーを感じる。権力者たちに比べたら、小さな小さなものだけど、そこには確かにパワーを感じる空間ができる

 

世の中は、フラットでオープン、ではない。実は、ひかりの当たる部分と、影になっている部分があって、オープンではなくて、クローズされた空間がある。クローズドな空間はないことになっているけれど、本当は、目の前の、小さな傘の下にだってある。そこには、満島ひかりさんが、ひそんでいる。おしまい。"

 


彼女に対する敬意、そして彼女の佇む感性の世界に降り、更にそこを膨らまして話す小沢健二さん。自分のことをそこまで大事に、そして理解してくれる人がいるんだ!彼女じゃなくても完全にノックアウトです。


でも、残念なのは小沢健二さんは結婚しているって事なんです。ここまで、シンクロできる相手なのに、近づく距離には限界がある。尾崎豊斉藤由貴のように。満島ひかりさんと小沢健二さんなら許せる。それにしても人の出逢いってなんて残酷なんでしょう…


昔の和歌もそうですが、歌や詩というものは、人に愛を伝えるためにあるものって、改めてそう思います。御覧になったこと無い方は、ぜひ彼女の表情と秀逸な散文朗読を聴いてみてください。

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理想的英雄像

子供の頃からの憧れのヒーロー。彼らには、問題を解決するという共通点があるわけです。中でも、僕が好きなのは、難局を乗り切っていく機知に富んだヒーロー。


考古学・オカルトの造詣に深いインディアナ・ジョーンズ、化学・物理学の知識を応用し即興で武器やツールを作り出すマクガイバー、古代史・マーシャルアーツの達人であるマスター・キートン


映画の主人公にはなれないけれど、知恵に富んだ問題解決プロフェッショナルなら目指していくことができる、コンサルタントってそんな職業なんだ・・そんな事にいつからか気がついたりしたのです。物事を理解し、知恵の引き出しが増えていけば、それだけ解決できる問題も増える。相手の喜びも生み出すことができる。


私は知恵を王笏や王座よりも尊び、
知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。
どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。
知恵の前では金も砂粒にすぎず、
知恵と比べれば銀も泥に等しい。
知恵の輝きは消えることがないからだ。
知恵の手の中には量り難い富がある。
旧約聖書 知恵の書)


やっぱりね、真善美をわきまえ、知恵に富んだ人こそが最高のヒーローなんだよね。

My Lifework

大学3年の12月下旬に突如として僕を見舞った原因不明の難病は、物事の見方や選択基準を大きく変えることになった。

大きな影響を与えたのが就業観。入院していた時期は12月から1月で、当時は就職活動のための電話帳のような情報誌が何冊も送られてきているタイミングだった。ベッドに文字通り完全に張り付けられ、天井だけを見つめる日々が少しづつ緩和されると、僕にはTVを見るか就職情報誌を見ることくらいしか主にやることがなかった。そして、穴のあくほど情報誌の隅から隅まで読み、せっせと企業にハガキを出していた。無論、就職活動ができるのかどうかは全く不確定な状態。

奇跡的に病気は完治し、日常に戻ると僕はある一つの問いを考えずにはいられなかった。それは、「自分は何のために生かされたのか?」というものだった。

それまでは、生涯年収の大きく安定した銀行や金融機関にでも行ければいいという程度にしか考えていなかった。だが、先の問いに照らすとその選択は全く適切なものとは言えなかった。安定した企業に入って、お金を稼ぐために自分が生かされたとは、とても思えなかったから。

そして出した結論は、少なくとも関心・興味の深いこと、心がワクワクして飽きないことを仕事として選んでいこう、ということだった。その後も疑問が出たら立ち止まり、やってみたいテーマが見つかったら、可能性があるのであればトライするようにした。心惹かれることがあったら後回しにしない。やらなかったことを後悔するような生き方はしない。未経験であったり、家族がいるなんてことは言い訳にしない。できるときにやらなかったら、いつ終わりが来るかわからないのだから。

昇格しても未練もなく会社を変えたし、志向のためには年収やポジションを下げる転職もした。働いてみたい人と仕事をするために、フリーランスという働き方もした。選択の上での羅針盤は、自分の心がポジティブになれるか、なれないか。

リンダ・グラットンは、著書「Life・Shift」の中で、マルチステージの人生を生きるためには、これまで若者の特徴とされていた「若さ」と「柔軟性」、「遊び」と「即興」、「未知の活動に前向きな姿勢」を持つことが重要だと述べている。その上で、自らに内在する問い「自分にとって重要なものは何か?」「大切なものはなにか?」「私はどういう人間なのか?」を見つけるための冒険(エクスプローラー)という観点で考えていくことが必要だと述べている。
 
彼女の本を読んでいて、この人は僕が考えていたことを明確に記していると思った。振り返ってみれば、僕のキャリアは、IT、戦略、組織人事のマルチステージになっていたりする。そして、僕の強みは「若さ」と「柔軟性」、「遊び」と「即興」、「未知の活動に前向きな姿勢」だ。でも、それは不意に訪れた自らの命の有限性に気づかせてくれた出来事がきっかけでもあり、そのことを何らかの形で誰かに伝えていくことができたらと思っている。だから、「キャリア」というテーマは僕にとってのライフワークなのでしょうね。

社会変革より自己変革

社会的課題を扱い、企業、そして日本を変えていく。そんなテーマこそ自分が長らく求めたもので。だから意欲を持って取り組めるのだ・・そう言って憚らない人に過去何人も会ってきた。そういう人に会う度に思ってしまう・・。いいけどどこまで続くのかな・・と。

 

テーマの崇高さや意義だけで、モチベーションは維持できない。冷や汗をかいて罵倒されながらも一つ一つ地味な仕事を積み重ね、小さな感謝と信頼を積み重ねていかなくては、実績は何も生まれないし、心も折れる。

 

小さな感謝と信頼を得るには、上の顔を見て仕事なんかするんじゃなく。地道なフィールドワーク、視野を拡げた勉強、身を切るトライアンドエラーを続けていくしかない。いきなり顧客と丁々発止を行い、ヒーローみたいな活躍なんて出来るわけがないのだから。

 

大概の場合、今の能力、経験だけではロクに貢献することすらもできない、そんな現実の厳しさを突き付けられ、あっという間に挫折をしてしまう。結局、憧れの裏には現実逃避があったり、携わっている状態にただ酔っているだけだったりするからだ。でもそんな薄っぺらなメッキはすぐに剥がれ落ちてしまう。

 

企業や社会を変えようなんて、そんな大層な事を考える前に、痛みを伴ってでもまずは自分を変えていこうとする意志があるのかが試されている訳で。そんなことを忘れて、過去の栄光から抜け出せず空回りしている人を見ていると。「偉そうに社会変えるとか言っている前に、少しでいいからお前が変われよ・・」そう思ってしまう。

 

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」きっと、そういう事を言っているんだよね。

根が田舎者

根が田舎者だからなのだと思いますが、出張先の宿を繁華街に取ると何か落ち着きません。拓けた静かで落ち着いたところが好きなのです。


大阪に来ると梅田や淀屋橋には泊まりたくない。早起きになったとしても、兵庫、奈良、京都がいい。こっちは、電車も東京に比べて空いてますから、1時間程度の通勤時間帯の乗車もさほど苦にならない。景観的には、嫌いな早起きをしてでも遠くに泊まる価値があるのです。


僕が好きなのは、明石海峡大橋が見える舞子ビーチなのですが、似ている雰囲気を東京で求めると大磯とか湘南まで行かなくては無理。しかもホテルは不便なところにあり、とても1時間どころじゃ済まない。関西は、その辺恵まれてるよね。