家を新築したあと、部屋にあった家具を新調する事にした。2003年のことである。赴いたのは、お台場にある大塚家具。リビングにあるダイニングテーブルは、収縮可能なラウンドタイプの大型ダイニングテーブル、背もたれに曲線が施されたダイニングチェア。値は張るものの、ここにしかない上質な家具があった。販売員がつくことも、数多ある商品から最適なものをセレクトする過程においては、鬱陶しいとは思わなかった。
だが、2000年代後半から大塚家具に赴くことはなくなってしまった。IKEA、ニトリ…家具の購入における選択肢が拡がったのが大きい。
実際に大塚家具は、リーマン以降の業績は売上、利益ともにサーチレーションを起こしている。
年/売上高/純利益(億円)
2000 659.9 +40.7
2001 712.1 +38.7
2002 688.1 +34.1
2003 730.5 +36.3
2004 688.1 +13.0
2005 696.5 +36.5
2006 700.6 +34.0
2007 727.7 +28.0
2008 668.0 -5.3
2009 579.3 -14.9 久美子社長就任
2010 569.1 -2.6
2011 543.7 +2.0
2012 545.2 +6.4
2013 562.3 +8.6
2014 555.0 +4.7 久美子社長解任
2015 580.0 +3.6 久美子社長復帰
2016 463.1 -45.7
2017 410.8 -72.6
報道では大塚家具の身売りは、親子の確執がブランド力を下げ、久美子社長の戦略の失敗、父親が正しかったともいわれているがそうではないだろう。
親子の確執以前にリーマン以降は売上、利益が減少。稼ぐ力が無くなってきている。インテリア市場全体は伸びているのに、一人負け。IDCがターゲットしていたハイエンド市場が縮退、競合プレーヤーに凌駕されたと見るべき。
ボリュームマーケットを取り込むべく打った手は、競合優位性を欠きキャッシュだけを大きく喪失。身の丈を大きく縮め、従来のハイエンド市場だけで生き残る縮小均衡モデルが賢明策だったのかもしれない。
裸一貫の父親は期せずして、上記のモデルを採ることになった。仮に、父親が巨艦IDC経営に返り咲いても結果は出なかった事は、過去の業績を見れば明らか
SPAモデルで利益率の高いニトリ。輸入家具により販管費がかさみ利益率の低い大塚家具。嵩を上げるための多店舗展開が今は裏目。ボリュームマーケットに打って出るなら、輸入モデルからSPAという根本のビジネスモデル転換が必要だった。だが、それには時間がない。セールだけを連発して、それが終わると閑古鳥。
大塚家具の蹉跌は、ワールドやSANYOの凋落、または百貨店の凋落と苦悩の構図に極めて似ている。