Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

同志との夜

今宵は中高時代同級生だったノンチとサシで対話の夜でした。前々から、SNSのやり取りでも、価値観の共通項や関心事項がシンクロすることがとても多く、いつかじっくり話をしようよ…と言っていたのですがようやく実現しました。

 

現役で医学部に入り、腕利き心臓外科医のノンチ。一方でぐうたらで文転浪人生で落第生の僕。頭のできもさることながら、住む世界が違う住人だって、20代だったらそういう分別で裁いてすれ違っていただけだったと思うのです。


社会人となり、専門分野は違うけど同じような価値観、スピリットを持っている。そして、異なる美意識を持つ存在と日々葛藤し、同時に真実を見つめる今に自己の意味を見いだそうともしている。

 

僕がプロフェッショナルワークを選んだ動機の一つは、学生ながらに『道』を選んだノンチのような同級生がいた事に憧憬と自己疑問があったから。そんな同志の存在を幾星霜も越えて確認するそんなひとときでした。

 

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今年度を振り返る

今年度も終了しようとしています。今年は大型案件のコンペをあと少しのところで何本も落としたし。かつての感覚で提案するだけじゃ駄目なんだなって…改めて思わされた。

 


もちろん、案件の大小を気にしなければ熱意と知見を認めてもらい、僕らに間口を開いてくれたお客さんがいたり。よき仲間といい仕事ができたって言える案件もあった。でも、やっぱり僕の立場においては全く足りなかった。打率3割を期待されているところが、2割5分で終えたシーズンって感じ…

 


そんな中で一番の朗報は、一緒に仕事をしてくれたK嬢とM嬢が揃ってプロモーションしたこと。今年のプロジェクトにおいては、二人とも欠くことができない存在だった。その貢献がオフィシャルに認められたのは何よりも嬉しい。

 


僕における価値の尺度は、あくまでクライアント。もっと多くの出会いと価値提供ができるように。現場での一期一会を大切にしてね。

大事なことを相談する意味

人生において難しい意思決定というのはいくつかあると思うのです。結婚とか、就職・転職とか。


どれもが不確実性を伴うもので、意思決定の代償として大きなものを払うことが余儀なくされます。そこに対して、相談相手に乗るというのはとても難しい…時に乗るべきでもないと思う自分もいるのです。

 


なぜなら、僕だったらそもそも選択肢にもないし、全くお勧めできない意思決定を『潜在的』に引き寄せた相手がいたとします。そこに賛成は個人的な感覚ではできないし、一方で抗えない宿命のような状況を作り出した相手の状況がわかれば、反対など意味がない。

 


不確実性のある意思決定においては、外形的に失敗しようが成功しようが最後は自分の中での意味づけ次第だろう…と僕は思っているのです。むしろ、相談したいような迷う意思決定なら止めればいい。

 


そもそも自分の身に起こる出来事はその前に自分が蒔いた種が出ているケースが多い。そこに抗うとか、人に相談して納得、決着させようだなんて無責任なことは思わないことです。人が介在すればするだけ、後で意味づけができなくなります。


むしろ、人に相談して大事なことを決めているようなスタンスだからいつまでも幸せになれないのだとも思います。冷たいようですけど。

ゴルフクラブもリーダーシップも使い分け

カリスマ的指導者が存在し、その価値観に信奉するメンバーで構成される組織。一方で、目的も価値観も様々なメンバーで構成される組織。リーダーシップスタイルは、全く異なるものとなります。

 


前者のスタイルを後者の組織で適用すると、メンバーの離反を招くだけです。特に、前者の組織で不文律の価値観で個々のメンバーや組織全体の評価をするなどもっての外です。

 


このスタイルをとる人は、同質性の高い組織にどっぷりとつかり、成功体験だけを積み重ねてきた人に多い。彼らは、ことあるごとに蘊蓄や解説を蕩々と語ります。聞いている人の顔色なんて見てやしません。

 


ですからそんなリーダーには誰もついて来やしません。そして、話を聞いていない、自分に付いてこないといって憤りを見せる。悪循環そのもの…やれやれ。

 


人は、共感やリスペクトがある人から言われるアドバイスであれば耳をかたむけます。ベースの価値観の共有がないのに、自分の考えやセオリーをごり押しする人からのアドバイスというのは拒絶します。

 


リーダーシップやマネジメントは、ゴルフクラブのごとく組織や構成員の状態を踏まえて使い分けないとね。一辺倒なやり方は、ネガティブ感情の連鎖しか産み出しません。まあ、自己の正当性を崩せない頭の固いオジさんには言っても無駄だけど…ちなみにこれは、僕の会社のことじゃありません。

お酒がないと話せないの?

お酒を飲んで話しをしたからといって、その人の本当の事がわかるわけではありません。きっと、そう思っている人は自身がお酒を飲まないと本音で話ができない人なのでしょう。


いろいろな人がいます。とはいえ、マネジメントでは問題があります。お酒やプライベートを侵食する時間の使い方をしないと、相手を理解できない、一体感を保てない・・このマネジメント手法では、育児を抱えた人やお酒が嫌いな人は蚊帳の外にならざるを得ません。

 

多様な人を抱え組織の拡大をしていく時にはこのやり方では限界。でも、こういうオールドスタイルから抜け出せない人まだまだ多い。

 

まあ、結婚していても家庭に居場所ないような人は、時代は変われどこのスタイルだよね。

同志がいるということ

経営とは、人々を通じて事をなすこと(Do things through others)であり、それによって、社会や人々を幸せにすることに究極の目的がある。


このため経営学の真の目的とは、社会や人を幸せにするための学問ということになる。中でも、組織・人事の領域は経営と人を繋ぐ要衝点であり、幸せを考えていく上で欠かせない機能といえる。


組織・人事は、経営システムや組織、人的リソースといったハードの視点と働く人々の思い、感情といったソフトの視点に切り分けることが出来る。どちらかといえば僕は後者に特に関心がある。戦略の前に経営者の生き様や価値観、理念。従業員であればモチベーションやキャリアといった側面。僕においては、個人の幸せという北極星のもとに、処遇も仕事もマネジメントもぶら下がるという構造なのだ。


個人の視点に立ってモノを考えていく、問題解決をしていくためには、従事者たるもの自分の感情や価値観、生き方というものにまずは関心を持つ必要があると思う。外形的基準や他人軸でモノを捉え評価している人にはこのテーマは向いていない。内面の多様さや複雑さを解せず、アセスメントによるタイプ論で人をレッテル張りして理解、処理しようとする人もである。基本的に、素直で、自分らしく自然に生きている、生きようとしている、心を意識して大事にしている人こそがふさわしい。


そうした観点に立ったときに、前職では同じベクトルで道を歩む人がいなかった。業務委託社員が中心の組織であったけど、正社員においてはそうした人が皆無に近かったといってもいい。草創期にはいたけど、途中段階でそうした社員は卒業してしまったというのが正しいかもしれない。事業の方向性や判断を行うのは、社員だからいつも葛藤やストレスを抱えていたように思う。


僕らの組織では、「仕事大賞」という一年の取り組みの中で自薦他薦を問わず、「大きな仕事」と考えられるプロジェクトをノミネートし、グランプリを決めるというイベントがある。


今年も年度末となりメールでの応募案内に、ミドル・シニア領域のソリューション開発プロジェクトを記載して提出しようか・・とぼんやりと思っていた。そうした折りに、K嬢とM嬢との打ち合わせの冒頭でいわれたのである。チームとして、自分たちが取り組んだソリューション開発プロジェクトのエントリーをしましょう・・と。


この組織にきて2年が経った。僕が歩いている道は基本的に変わらないけれども、一番の違いは、振り返ると同じベクトルを向いて歩いている仲間がいるということ。そんなことに改めて気がつかされた瞬間だった。

ブランドよりも似合ったもの

『人には似合っているものってあるのよね。学校もそう。今まで見てきた生徒もそうだったから…背中を見ていると何となく分かるわ』


秋口を迎えた予備校の職員室。僕が第一志望を伝えると、担任だったベテラン女性の先生は少し驚いた表情を見せながらも、僕にそう言ってきた。


国立理系から私立理系、果ては浪人での文系コンバート。絵に描いたような転落流転。国語だけが、偏差値70を超えるも文系として勉強してこなかった社会は50台。英語に至っては40台。当初は惨憺たる状況だった成績も、同世代と一切関わりも持たず、口も利かずに勤しんだ甲斐あり、秋にもなるとかなりまともになってきた。


成績はW大かK大を射程圏として目指すというところ。でも、僕はなぜか気持ちをそそられなかった。中高時代のように、こじんまりとして環境のいいキャンパスで大学生活を送りたかった。理系の時には玉川大学に行きたかったくらいだったし。


誰もが行きたがるところには行く気が失せる…というマイナー志向で持ち前の捻くれたところもあったのだろう。


果たして、僕は秋口の予備校の職員室で、第一志望だと告げた大学に行くことになった。不思議なことに僕のために作られたかのように、試験問題も相性が良かった。世間でいうところのいい学校はもっとあるけど、僕にとっては最上の学校だった。毎日、キャンパスに足を運ぶことも、経営学を学ぶことも楽しくて仕方なかった。その延長で今がある。


振り返ってみると会社も同じ。自分に似合ったところにいるのが一番良い。きっと、最初に入った会社も今のところも自分には似合っているのだろう。

 


今も思う。予備校であれば、上位校の合格実績を求めたがるもの。でも、あの時の僕の担任の先生は、それを求めなかった。あなたに似合ったところが良いのだと。いい先生だったな…