Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

男の子でいられる条件

村上春樹さんが以前、『男の子でいられる条件』というのを列挙していた。なるほどなあと思い、意識しているのだけど、この条件はどれもシビアなものだ。

①月に一回 「床屋」にいく
②日常的にスニーカーを履く
③1万円以下の時計を着ける
④いちいち言い訳をしない

僕においては

① × かつては床屋に行っていたのだけど、細君にユニセックスの美容院にコンバートされた
② △ 週末はスニーカーだけど、さすがにウィークデーは無理だよね
③ △ 定価はさりとて、2万は超えないようにしている
④ × 細君にはいつも言い訳ばかりして、怒られまくってます

そもそも、村上春樹さん自体もユニセックスの美容院に行っているので、①は×らしい。

村上春樹さんの作品において共通して浮かび上がってくる主人公「僕」は、「タフな男の子」であることが多い。髪は短く刈上げ、洗いざらしジーンズにニューバランスを履き、SWATCHをつけている。そして、内省的で自己の確固とした哲学を持っているという感じでしょうか。

大人になると、肉体の衰えや体のラインの崩れに半比例して、経済力は増してきます。それを覆い隠すがごとく、身なりはどうしても”重たく”なってしまうもの。できれば、フィジカルは身軽にキープしながら、清潔でミニマルな装いがフィットする男の子でいる方が、いいんだろうな・・って思います。それには、哲学とタフな習慣が求められますが・・

向田さんの審美眼

どのブランドだから、誰がつくったものだから、誰かがお奨めだと言ったから…

自分の目で見て、自分としての最上、お気に入りというものを選べる、そうしたものに囲まれている生活ができるのが格好がいい。でもそれは、本当に自分の感性に敏感に素直に生きていないとできない。

向田邦子さんって数少ないそういう人だったのでしょう。洋裁を嗜み、自分で気に入った服を旅行前の1時間であつらえる。きっちり奇麗に磨き込まれた靴。そして物書きだった向田さんは、鉛筆は纏め買いで軽く書ける4B、5Bを愛用してグイグイ物書きをしたそうです。万年筆は人が使い込んだものを最上とし、気に入ったものは頼み込んで譲り受けたそう…

なんか、完全に自分の中にモノを選ぶ基準があることがうかがい知れます。

ブランドでしかモノを識別できない人って、物事の本質に興味がない、それ以前に人の目だけ気にして自分の事が分かっていない人じゃないかってそう思うのです。

向田邦子という人は、ムダが好きでムダを人生の深さにした人だと思います』(向田和子)

そういう人だからこそ、人の心の感情の機微に触れる優れた作品を生み出せたのでしょう。

有事の天使

もうかれこれ5年前のこと。17時53分名古屋発東京行き新幹線。指定席に座ろうと車内に入ると通路奥に人溜まりがある。

自席のそばまで来て見遣ると、中年男性が痙攣を起こしながら3人席の前で卒倒している。倒れる際に頭も切ったらしく、みるみる床に血だまりができていく。列車は緊急停止し、駅員、クルーが急病人の搬送をしようと集まってくる。でもその対応は遅々として進まない。

そんな中、倒れた男性に付きっ切りで手当てをする20代の女性がいた。「いきものがかり」のボーカルの子に似ている。

彼女は駅員が手をこまねいている中、病人に語りかけながら止血を行い、医師がいるかを周囲に呼びかけ、駆け付けた駅員には状況を話していた。手や膝が血で汚れることも厭わずに。

彼女は倒れた人の知り合いでも何でもなく、偶々隣の席に居合わせただけらしい。

列車は名古屋駅に15分停車し、急病人も担架で漸く搬送された。彼女は搬出時にも介添えし、彼の荷物を駅員に手渡すとまた車輌に戻った。そして、心配そうに彼女を見つめる周りの目に恥ずかしそうにしながらも自分の席についた。

手をこまねいていた駅員を遥かに超えた見事な対応。同じ状況でこのような事が自分が出来るのか?彼女に心で喝采を送るとともに、ショックを受けた出来事だった。


あまりに感動したので品川駅で降りる際に彼女に声を掛けたら、とんでもない…と。いい光景を見ました。

スーツの季節

最近はクールビズとかビジネスカジュアルが許容される環境になったこと、気温が高い時期が多いこと、自転車を多用していること、とにかく暑がりだということから、上下のスーツをパシッと着る時間というのが減ったなあと思うわけです。

だいたい5月から10月はパシッとスーツを着るには暑すぎる。半袖でちょうどいい。そうなると、ネクタイを締めて、ワイシャツ、スーツを着られる期間というのは一年の半分しかないわけです。

背抜きの春夏物スーツなど上下で稼働できるのはせいぜい2-3ヶ月、背入りの秋冬物が2-3ヶ月…うむむ短い。

キチンとスーツを着るのも結構すきだっりするので、気温が下がってくるのはある意味でありがたいことだなあ…なんて思うわけです。イングランドやイタリアみたいに湿度の低い環境じゃないことから、本来のスーツの着こなしを夏期にするのはどうにも難しいやな。

あれができるのは、車で通勤できる選ばれし人だけだと僕は思うわけです。退任してしまったワークスアプリケーションズの牧野さんみたいにね。

サーキットラリーではなく、サファリラリー

僕はコンサルティングプロジェクトは、冒険ツアーのパーティーだと考えている。この言葉にはいくつかの意味が込められている。

・未知の領域を探索する中で発見があること
・未踏の領域は先人が歩いた地図がないから試行錯誤で時に辛い時も多くあること
・辛いときも、発見があったときも仲間がいた方が乗り切れるし、喜びも大きいということ

僕は、コースが定まったサーキットを人より早く周回して順位を競うサーキットドライバーは性に合わない。コースも定まっていない、チェックポイントとゴールだけが定まっている砂漠のサファリラリーが好きなのだ。

前者はF1だし、後者はダカールラリー。F1は単独のドライバーだけで争うけど、サファリラリーは、ドライバーとナビゲーターのコンビでレースを行う。パラメーターが無数にある中で局面を見極めるインスピレーション、息の合ったコンビネーションが勝利の鍵を握る。

僕が行いたいコンサルティングは、ゴールを定めKPIの向上に向けてPDCAを早く回すカイゼンコンサルティングじゃない。それはサーキット。僕が違和感を感じるのはPDCAや奪い合いの戦略観点でしかモノを語らない。それが正義だと信じている人だ。

そうではなく僕が目指すのは、人の喜びの創出に向けて、直感と思考を組み合わせてパスファインドするデザインコンサルティングやビジョンコンサルティング。光を当てたいのは、組織の論理だけではなく、個人の感情。それは、サーキットじゃなくサファリだから。

手のひらのバーチャル

久しぶりに訪れた代官山蔦谷二階のレンタル音楽コーナー。これもサブスクリプションが拡大してきた証左ゆえと言えるわけですが。音楽レンタルコーナーは、久しぶりに行ったら大幅な縮小をしていたわけです。いつもは違うフロアばかりにいたので全く気がつかなかった…

考えてみれば、会社帰りに自転車で寄り道し気ままに音楽を聴いて一時の豊かな時間を過ごしてきた代官山蔦屋の音楽コーナーも、Apple Musicを契約したあたりからだんだん行かないようになってきていました。(僕は一人で酒を飲むのは好みじゃないのです。コーヒー飲みながら音楽聴く方がいい)

僕個人にしてもそんな具合ですから、客足は大きく減っていたことは想像に難くはありません。にしても、リアルでモノを確認しながら音楽を聴ける。サブスクリプションでは扱っていないアーティストの音楽をリーズナブルに聞ける点では貴重な存在だっただけにとっても残念…

音楽コーナーにいたコンシェルジュの人たちはどうなったんだろう…なんて気になりながらも、手のひらのバーチャルだけで完結する世界の侘しさを思うのでした。

ノーブランドで勝負する

組織においては序列というのがあります。実力、実績を上げてプロモーションされていく。コンサルティングファームでいえば、マネジャーというのが一つのメルクマール。コンサルタントとして一人前という一つの証左です。

20代の新卒でITコンサルティングファームに入ったときには、いかに早くマネジャーに上がるかという事が目標でした。自分の性質に完全にマッチしないITというドメインに長居をするつもりはありませんでしたが、マネジャーという卒業証書を手にして意図するドメインに転じようと思っていたからです。その時は、中途半端に転出してもずっと中途半端だと頑なに思っていました。意図するドメインは、業務プロセスであり、中期的には戦略でした。

とにかく、上位の人間が行うレベルの高い仕事は意図的に行っていきました。時に自分より仕事ができそうもない上の人間を排除することも含め。まあ、仕事なんてものは与えられるものではなく自分から獲りにいくもの、上の仕事ができてこそプロモーションの資格がある。それは、普遍的だと思います。機会を自ら創らず、会社はチャンスをくれない、評価が妥当でないとか言っているお坊ちゃんには上に行く資格はないのです。

果たして僕は中途入社でプロパーより専門性ではディレイドスタートでしたが、同世代より早く上に上げてもらいました。29歳の時です。そして、当初の考えに沿ってITからは卒業しました。

とはいえ、タイトルに拘ったのは20代までで以降は執着心が無くなりました。戦略ではシニアマネジャーにプロモーションされましたが、タイトルを下げて組織・人事の専門ファームに転じました。40代からは、インディペンデントとしてリクルートのプロ契約社員となりました。

肩書きはありません。名刺はシニアコンサルタントなんてつけてもらいましたが、権限も別にあるわけじゃない。そもそも、僕は個人会社所属ですから会社という肩書きすらも背負っていない。ユニフォームを着て背番号をつけた人たちに混じり、無地で背番号を付けていない選手の感覚でした。

肩書きを手にするとか、より上に行くという価値観ではなく、納得のいく仕事をするチャンスを確実にモノにする。自分にしかできない仕事を多く作り出す事が肩書きなどよりも大事なことなのだとそれを肌で知りました。多くの人は、そんなことを会社人生を終えた後に気づくものです。

そして無地のユニフォームの人間から見て、序列を気にして毎日を一喜一憂し、本音を押し隠している社員たちは、時に滑稽にも思えました。

7年のノーブランド生活から久しぶりにユニフォームを纏い、背番号を付けて仕事をしています。組織のビジョンや戦略を描く、仲間とともに成長するという醍醐味はありますが、肩書きなんて一度なくした人間からすると、頓着する対象ではなかったりします。みんなの夢を創るための責任ということなら、引き受けてもいいけど単なるタイトルはどうでもいい。タイトルに執着してその果ては社内政治に破れた人の末路もいやというほど見てきましたしね。

若いときは上に行こうとする貪欲さが人を成長させるとは思うのです。でもどこかでそのパラダイムには限界が来る。人生100年就労70歳時代だったら、背番号やユニフォームなどなおさら無意味ですよね。