Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

面倒を通じた対話

普段使いのクオーツ時計を日常ではめることがほぼなくなった。寝ているときは暗中でも文字盤が見えるLUMINOX、ランニングのときはGARMIN、研修講師のときはデジタルのTIMEXと使い分けてはいるがメインは機械式。

 


基本的にクオーツアナログは、抽斗に眠りっぱなし。気がついて見てみたら、電池が知らない間に切れてしまっていた。電池を入れても使うかどうか怪しい…

 


腕につけているか、ネジを巻くかしないと止まってしまう時計というのは、それなりに面倒。ネジの巻き上げ具合によって正確性も若干変わる。しっかりネジを巻いている状態の方が正確。

 


日々文字盤をにらみ、時刻のずれを確認しながら時にネジを手で巻いていくことになる。SEIKOは極めて優秀で、大幅な時刻のズレは起こらず2ヶ月くらいは1分以内に収まる。

 


こんなことをしていると毎日、生き物を育てているような対話が時計との間に生まれる。対話がない時計というのは、その時になるまで放っておいて良い…結果として使わなくなる。

 


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毎日時計のねじを巻くのは,「めんどうだけれどそれなりに手ごたえのある行為」です。

 


 「歯を磨いたり、猫にえさをやったり、朝に新聞を読んだりするのと同じような種類の、生活の中にしっかりとくいこんだ日常的行為」です。

 


 柱時計の蝶型の金具をまわしたり,腕時計の小さなつまみをまわしたり,かつての時計は,「ねじを巻く」という行為を通じて結ばれた,私たちの家族の一員でした。

 


ところが小型の高性能電池が開発され,ねじ巻き時計は次第に姿を消していきました。毎日ねじを巻くという行為から解放されたことで,時計と私たちの関係は,「時計は時計で動いていなさい、我々は我々で生きるから」という「わりにクールな関係」へと変わってしまいまう…

 


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面倒な行為は対話でもある。そして対話が発生するとクールな関係から情緒的な繋がりに変わるのですよね。そして、物事の有限性というものを目で見て教えてくれるというのもいい歳をした大人になってくると大切だなと思うのです。