労働力が減少している日本においては、旧来の産業や働き方にロックインされている人材を変えていかなくては、国力を維持していくことができない。外国人の活用は、サービス業に限らず、IT、DXといった高度専門領域でも顕著だったりします。このため、政府は「リスキリング」を推奨し、社員にリスキリングをさせる環境を提供した場合は助成金を支払うなど、促進を推し進めようとしています。
ただし、同じ企業で働き続けるという羊水のような環境に甘んじる状況では、学びなおしなんて起きるはずがない。むしろ、大したことしていない中高年がつっかえている会社にいるより、学びなおしをして他社に転職をしようとしている若手だけがせっせと学ぶことになる。実際に、e-learningの利用統計を取ればどこの会社でも同じような結果になるだけです。
ジョブ型をとる米国では、同じ仕事をしている限りは昇給しませんから、一生懸命勉強をして異なるジョブに挑戦しようとする。僕の義理の姉もそんな風にしてキャリアを築いていきました。学ばなかったところで、評価も悪くならない、ベースアップもされる。余計なことをする必要なんてない。でも、そうした安住意識に甘んじる中高年においては、黒字リストラという形で容赦ない対応が取られているのも事実だったりします。
まあ、変われない、変わろうとしない、でも給与が高い人なんて経営側から見たら人数を減らすに越したことはないので、適切な対応なのだと思います。
学ばない、変われない人は容赦なく切り捨てるというのは、ある意味で真理なのだと思うのですが、そうではなく学び続けている人というのは何がポイントなのか。それは、自分の価値観を明確に認識しており、新しいことを知りたいという好奇心を強く持っている人だったりします。人には、自分すらも自覚できていない様々な可能性があるわけで、その心の声に素直に耳を傾け、合理性などを問わず、門をたたくという姿勢。
ドメインを変える転職というのは、リスキリングの格好の機会だったりします。変わった会社で成果を出すために全力を尽くそうと覚悟をもって臨みますし、新たなことを短期間で習得しないと評価されないからです。
自分らしいキャリアなんてものは、そういう覚悟と学びなおしによって具現化させようと行動することで初めてもたらされる果実なのだと思います。でも、歳を取っていくと新たな行動を行うリスクと取らないリスクを天秤にかけるようになります。そうして、収入や安定という大義名分の中で挑戦することを辞めてしまうのです。
40歳そこそこで挑戦を放棄した人が、長い職業人生で自分らしいキャリアなんて歩めるわけない。耳障りよくプロティアンキャリアなんていうけれども、今の存在以外の自分に生まれ変わるというプロティアンって時に苦しく、覚悟の問われるプロセスを経てなりうるものだと思うのです。