Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

躓いた石から学んだこと

昔から惚れっぽく、すぐに冷めてしまうかというとそうでもなく。人生の大事な選択をそれで決めてしまったりするところがある。


高校時代は本田技研工業のF1挑戦のストーリーにひどく感銘し、工学部に入ってエンジン設計のエンジニアを目指すべく、工学部を目標に受験勉強をしていた。就職実績に本田技研のある学校を上から下まで並べ、ホンダに入ることだけを念頭に学校選びをした。


人は、憧れと努力だけでは、どうしようもないことがある。向いていないことはいくら時間を要そうと身についていかない。少なくともそういう器用さを備えている人間ではないことを受験では学んだ。上から下までの学校は、どれも受からなかった。


厳然とした事実を目の前にして、次なる人生の選択の機軸はどこに置くべきか。高等数学も物理も化学も、高校時代の勉強はすべてオールクリアし、得意なことを基軸に再構築をしなくてはいけない。唯一、成績が飛び出ていた国語を軸にしてみようと思った。高校時代に熟読し、好きだった石坂洋次郎作品。彼が卒業した慶応文学部を目指してみようと思ったのだった。


だが、その考えはかなり難しいことに気がつく。国立理系で社会は地理こそ勉強していたものの、日本史も世界史もしっかり学んでいなかった。慶応文学部は、日本史か世界史でないと受けられない。地理で受けられる文学部なんて大した学校でない。慶応文学に行けないとおもった瞬間に、文学部にいくという選択を消さざるを得なかった。。


自分は、何に興味を持ち、何が得意なのか。人より少ない努力で、人より得意になれるものは何か。


自問自答の上に出した答えが、経営学だった。事業や製品開発における意思決定はどのように成されるのか、何が成否を分けるのか。ホンダの躍進ストーリーや内橋克人の『匠の時代』に胸を躍らせた自分は、外部環境を見据え生き残りの路を見いだした経営者や開発者の生き様にあったのではなかったのか・・それを科学する学問が経営学だと分かったのだった。


文学にそこまでの情熱を見いだすことは難しそうだ。もし日本史を選択していたら、危うくまた同じ轍を踏むところだったかも知れない。


経営学の先とした就職先に経営コンサルティングという分野を見つけ、紆余曲折の中で組織人事分野に居場所を見つけた。そして、自身の経験をキャリア分野の専門を磨き活かしていくことにした。30代半ばのことだ。


不器用な人間は、人より少しの努力で得意になれること、情熱を傾けられるものの中でしか生きていけない。学生時代に唯一学んだことはそれだった。でも、そのお陰で正しい道を歩めているように思う。明日も若い社会人たちにキャリア研修を行う。同じように悩んでいる人がいたら、その事が少しでも伝わればいいなと思っている。