志賀直哉唯一の長編小説である暗夜行路。近代文学を代表する最高作品との評も高い。だが、実際に読んでいくと長い休止期間を挟み執筆に相当な時間をかけたというだけあり、とにかくテンポが非常に悪く読み進めていくことに難儀する作品でもある。おそらく、湧き出るようなストーリーを書き進めたものではないからだろう。主人公を取り巻く人間模様、心象風景の動きもさることながら、筆者が実際に住んだ土地、訪れた名所を精緻な筆で描いた紀行のような性質が多分にある。
尾道、鎌倉、京都、城崎、大山・・
東京下町も尾道、鎌倉、京都も僕はある程度詳しいので、地名が出てきても大凡の見当が付くわけだが、土地が分からない人においては全く何を言っているのか皆目見当の付かない書き方をしている。(注記がたくさんある)
それにしても、鎌倉、京都、尾道の描写は大正から今でも大きく様相が変わっておらず、文豪の愛する場所というのは情緒があって、時代変化から分け隔てた環境なのだと改めて思わされる。
一方で、彼が足繁く通った三ノ輪から遊郭のあった台東区吉原の東京下町の様相は全く変わってしまっている。彼が文章に描いた土地の今を訪ねてみるだけでもなかなかに興味深い。
この作品は、テンポが悪いながらも主人公のささくれた心がゆっくりと恢復していく様が、目に映る景色と共に綴られている。実際に深いところで傷ついた人の心というものは、劇的に変わるものでもないので、ある意味でリアリスティックな作品といえるのだろう。
暗夜行路は、志賀直哉が我孫子に在住していたときに執筆された。我孫子、京都、鎌倉、尾道・・彼が好んだ場所と自分が縁があり足を向けた場所が同じというのは、なんとも面白い。それにしても、この主人公の放蕩ぶりというか、稼得の業をまるで感じさせない浮き世離れした生活は、全く想像も付かないし、共感すべき点がまるでないのだが。