『自分のすることを愛せ、子供の頃この映写室を愛したように』
ニュー・シネマ・パラダイスで、シシリーの小さな映画館の映写技師をしていたアルフレッドが主人公のトトに言う台詞です。大学生の時に、シネスイッチ銀座で独り立ち見で観たこの映画は、終わった後しばらく動けないくらい感動に包まれた映画だったのですが、冒頭の台詞は僕の生きる上での一つの指針にもなっています。
お陰で、僕は自分の仕事を愛していますし、単なる報酬を得る手段ではなく、己の成長や心の糧も仕事から得ています。
僕は、自分の仲間を選ぶ時に、経験や能力もさることながらこのテーマに対する愛情がどの程度あるのかいつも聞くようにしています。自分が愛しているものであれば、自己犠牲も厭わないですし、多少の困難があっても歯を食いしばって頑張れるからです。そもそも、クライアントが自分たちでは出来ない難しいことを頼んでくるのですから、困難は常にあるものだからです。
ただ、採用面接の時に愛情のほどを語った人が、少しすると自信を失い、目から輝きが失せていく場面を何度も見てきました。『貴方の愛とはその程度のモノなのですか・・』と思ってしまうのですが、仕事というのは憧れでできるものではなく、必要な能力や知識を粘り強く磨き続けていく必要があります。そもそも、好きな相手と一緒になる前にその準備を重ねておく必要があったりするのです。それも愛なのだと思います。
戦略にコンバートしたときも、組織人事にコンバートしたときも、そこで付加価値を出せるように、そこで求められている知識やスキルとは何かということを考え、転職前には考えられるだけの準備をしました。入ってからもそうでした。それでも、歯が立たなくて最初は打ちひしがれる思いを抱えながら、葛藤の日々を過ごしました。
リクルートで働くときもそうでした。ここには、組織人事のエキスパートが揃っている。それが故に、とにかく力をつけてからそこで仕事をしようと思いました。6年間の準備期間を経て、誘われたリクルートで新規事業を立ち上げたときもそれでもとても苦労しましたが、6年間の準備があったからこそ事業を上手く立ち上げることができたのだと思っています。
昔から好きな人ができたときに、告白するまでは自分で何度も自問自答を繰り返すタイプでした。単なる見かけに惹かれているだけなのではないか、どこが良いと思っているのか。自分は相手のどんな存在になり得るのか。そもそもその人を好きになる自分とはいったいどんな人間なのか・・
ちょっと好意があるくらいで、傷つかない形での誘いから始めるということが、自分には到底できなかった。仕事や会社を選ぶときも、基本的に人と付き合うことと何ら変わりがないような気がします。
愛しているの意味することが人によって違うのだろうな・・と思うのですが、逆境の時こそ愛が試されますよね。