大学時代、工場のアルバイトを良くしていました。ルーティンは家庭教師でしたが、まとまったお金が欲しい時には工場のバイトは都合が良かったからです。
食品、物流・・色々やりました。共通するのは単調だけどミスが許されない。厳しく時間が管理されている。話しかけてくれる人もなく、ミスをするとこっぴどく怒られる。休憩の時間に食べるご飯が唯一の楽しみ。現場が綺麗だったり、埃だらけだったりと程度の違いはありましたが、監獄に収監されている囚人の気持ちになりました。つくづく自分はこういうところでは働ける人ではない、真剣に仕事選びを考えようと思ったものです。
ただし、仮に監獄のような状況にある工場にいる人が全員不幸なのか?
そうではないとビクトール・フランクルは言います。アウシュビッツに収監された過酷な経験を記した『夜と霧』で有名なオーストリアの心理学者です。『嫌われる勇気』で有名なアドラーの弟子でもあります。彼は自身の体験を踏まえ、絶望=苦難-意味 という考え方を打ち出します。苦難があったとしてもそこに肯定的な意味を見いだすことが出来れば、絶望ではなく希望に変るのだとする考え方です。
これは、イソップ物語の3人の煉瓦積み職人の話に通じます。つまらない煉瓦を積んでいる職人においては、『絶望』であり、人々が祈りを捧げる大聖堂を創っていると認識している職人においては『希望』になるのです。
そうなると仕事を自分で選んだり、選択の幅を持たせるだけではなく、そこに自分なりの意味付けを持たせていくことも大事なのだということになります。これは、ジョブクラフティングとも言い換えられます。
ジョブクラフティングは、「A.認知」「B.関係性」「C.職務」の3つがあります。
かつて日本の製造現場で盛んだったQCサークル活動は、ジョブクラフティングの効果があったのではないかと僕は考えています。
改善活動は、「C.職務」クラフティングそのものといって良いですし、その仮定において仕事の捉え方やチームの関係性も向上するので、「A.認知」「B.関係性」クラフティングも促進されたと思うからです。だから、日本の製造現場は80年代は無敵だったのです。(プロジェクトXの世界ですね)
考えてもみて欲しいのです。学校の授業がつまらなくても仲の良い友人がいたり、気になる異性がいたり、クラスで文化祭活動に熱中したり、部活で目標を追いかけていると、学校生活は魅力的なものになる。世間で言うところの良い学校に行き、学びたい科目を選択させるだけでは学校生活は輝かしいモノにはならない。会社生活も全く同じです。
この事は、マーカス・バッキンガム「仕事に関する9つの嘘」にも書かれています。
良い会社にいけば、エンゲージメントが上がるかというとそんなことはなく、良いチームに属しているとエンゲージメントは上がるのである・・と出ています。
そうなると、良いチーム(小集団)を作れた方がエンゲージメントは上がっていくということであり、日本企業の小集団活動は実は最新データから見ても効果的であったのだと思うわけです。