Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

滑る手に残ったもの

手掌多汗症にお悩みの方は医師に相談を・・というCMがTVに流れている。紛れもない僕もこの手掌多汗症という症状に小さい頃から悩まされてきた。そもそも、病気だという認識もないので、単に恥ずべき身体的な特徴という認識でしかなく、親にも相談をしたことがない。


手にひどく汗をかくから、試験の答案用紙はいつもへなへなになって、鉛筆で穴をあけてしまうこともあった。左利きでもあったから、水性ボールペンや万年筆は汗で滲むから絶対に使うことができなかった。なにより運動会のフォークダンスや遠足では、女の子と手を繋ぐことがとても恥ずかしかった。ハンカチはいつも必需品だった。


鉄棒は手が滑るし、何より野球部に属していた身としては、スイングするときにグリップが滑ることも致命的だった。バッティンググローブは必需品だった。


社会人になると、手掌多汗症によるハンデを感じる局面は減っていった。パソコンを使うから紙に字を書く機会も減った。何より答案用紙なんてものはなくなった。申請書を書くときは、当て紙をかまして書けば良い。だが、人と手を繋ぐこと、握手をするときの問題というのはいつまでも残った。


カミさんと出逢ったときも、手を繋ぎたがる彼女において汗ばむ手を預けることは、いつも申し訳ない気持ちだった。でも、彼女はそんなことを一向に気にかける素振りを見せなかった。子供達もそうだった。娘とは小さな時からいつも手を繋いで幼稚園に通った。彼女も何も気にしなかった。40代ともなると、いつしか僕は手にさほど汗をかかないようになっていた。


子供の頃に、この症状は医師に相談し治療が出来ることをしっていたら、僕は手術や治療をしたのだろうか・・異性に対するそこはかとない後ろめたい気持ちも、減っていたのだろうか?勉強もノートを取ることも何ら支障なくできたことで、成績もマシになっていたのではないか。


悩んできた体の事だけれども、結果としてはそれで良かったのだろう。いくら掴もうとしても滑りおちてしまうこの手に掴めたものだけが、本当に大事なモノだったのであろうから。