先天的に与えられたものが『才』、後天的に獲得したものが『能』であり、そのどちらも出したり引っ込めたりすることができるもの。顔や容姿といったものは『才能』ではなく、隠すことができない。実際に『色』として別格に扱われるわけです。(才色兼備という言葉の通り)
色に恵まれた人というのは、人生において得をするのか…というと決してそういうわけでもない…らしい。憧れますけど…
確かに女性であれば、色に恵まれた人は有象無象の男が群がってきて、それを断ることもなかなか面倒だし、自分の本質に興味がなく、見かけに恋する人物を引っ掛けてしまった日にはそれこそ最悪で。何より恋した相手のために、自分の才能を磨いたり、生かすことができなかったら、それこそ勿体ない人生だといえるんでしょう。
色に恵まれた芸能人の人生を見ていると、確かにそれは言えたりします。大原麗子さんにしても、島田陽子さんにしてもそれはそれは美しく素敵な女性でしたが、寂しい晩年を過ごされてますしね。
なぜ人は才能よりも色を求めるのでしょう。例えば、松田聖子さんにおいては、天賦の歌声を取らず容姿をとっています。(勝手な邪推ですが)才能にあふれる人でも容姿に強いコンプレックスがあり、変えたい、変えたという人は少なくないと思うのです。
きっとそれは、色が恋愛というものに直結しているからなんだと思うのです。『少年老い易く学成り難し』より『命みじかし、恋せよ乙女』の方が人生においては重みがある。
一方で、色というのは老いによって褪せていきます。そうなると、才能を活かすということがその人のアイデンティティになってくる。豊かさとは色ではなく、才能によって周囲や社会に唯一無二の貢献をすることによってもたらされるのだとね。