尾崎豊はティーンエイジに3枚のアルバムを立て続けにリリースする。だがその後行き詰まりを感じるようになる。思ったような曲が出ない、詞が書けない。活動を休止して渡米したニューヨークでは覚醒剤に手を出してしまう。
兆候は、3枚目のアルバムで見え始めている。3枚目の収録曲は本来は10曲だったが9曲で終わっている。残りの1曲がどうしても書けなかったらしい。3枚目の最後の曲は『誰かのクラクション』。ある意味で尾崎豊がナチュラルに生み出した最後の曲といえるのかもしれない。
僕はいくつか好きな曲があるけど、『誰かのクラクション』は一番好きな曲かもしれない。
尾崎豊は、大人に抑圧され、自己が何者であるかが定まらないアンビバレントな世代が抱える葛藤、その最中で生きる証であり依るすべとした愛の姿を独自の世界観の歌詞にのせ表現した若者の代弁者だ。
だが少年はいつしか歳を取り大人になっていく。
尾崎の場合において、それはアイデンティティの喪失を意味する。対立項としていた大人になるにつれ、対立のコントラストは不明確となり、新たなテーマも見いだしていけない。むしろ、自分が蔑んでいた大人になってしまっている。
果たして自己の状態への疑念、矛盾を抱え、さらには作詞、作曲に行き詰まりを感じてしまう。メッセージを歌詞に乗せて人に伝えることがレゾンデートルの人間にとってメッセージを出せないことは、存在価値の無いことを意味する。
その狭間でもがき続け苦しんだ彼において、薬物に手を出してしまったことは、ある意味で致し方なかったことなのかもしれない。死因は自殺ではなく、覚醒剤を飲用してしまったことによるオーバードーズが引き起こした肺水腫。必死に生きる中で起こしてしまった事故だったようだ。
彼らしい…と思ったのは、斉藤由貴との不倫についてどう思っているのか…
『人を好きになることに理由なんてないよ』
『確かにそれで傷つけた人もいるし、申し訳ない気持ちもあるけど、その時においては彼女を真剣に愛していたんだ…』
そう。人を好きになるって理由なんてないし、そこに妥当性とか理由とかも必要ない。尾崎豊らしいね。以上は、尾崎豊と霊視で対話をした方の話を聞いた僕の感想です。