成果を出すことに拘りが強いと、獲得した経験やスキルを前提とした働き方をせざるを得なくなります。そうした働き方は不確実性を減少させる反面、窮屈で退屈なもの。
何より、自分の中にある可能性の芽というものを伸ばす機会を無くしてしまうことは人生における最大の損失であったりします。
人は、機械のようにスペックに基づくアウトプットが確定した存在ではない以上、成果主義よりも本来は成長主義の視点で考えていく方が個人も組織も輝き続けることができるはず。
一方で成長主義の視点に立った採用や評価というのは、運用がとても難しい。少なくとも人は過去はさりとて変わりうる存在であるという信念と隠された能力を見出し、引き出すことのできる人間がマネジメントに就かないとね。
司祭や教師とまではいかなくても、その意識を持ってマネジメントに臨んでいる人がどれだけいるのでしょう。少なくとも、性悪説の視点に立った上で『インテグリティ』を標榜する人においては、その資質はないように思います。