Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

参謀の思考法

一枚のメモ用紙に簡にして要を得た記述(結論、3つの理由)をし、後ろに論拠を示した詳細データを貼付する。そうした独特のメモの様式は、壱岐が曾て参謀本部にあって、戦線を前進させるか、撤退させるか、二者択一の軍の作戦を立案するとき、たたき込まれた思考方式を導入したもので、どんな複雑な要素が絡み合っている事態でも、問題点を5点以内に要約し、その裏付けをとれば、結論は出るというのが壱岐の持論で、口頭での報告もすべて時間を圧縮し、先に結論から述べるという方式を徹底させていた。(山崎豊子 不毛地帯


小説の主人公、壱岐正のモデルとなっている瀬島龍三大東亜戦争中に大本営参謀で作戦部員の要職を若くして勤めた人物。戦後はシベリア抑留11年後に伊藤忠商事に入社し、繊維商社だった伊藤忠を財閥系商社に伍するまでに成長させた立役者。中曽根政権時のブレーンにもなっている。


瀬島氏に関する描写は、「企業の天才」にも登場する。その時は、通信自由化の中で第二電電の幹事会社を京セラ(稲盛)、ソニー(盛田)のどちらにすべきなのか裁定をウシオ電機会長の牛尾氏から依頼されたときのこと。この時にも結論、理由を3つ述べて京セラにする大きな役割を演じている。今のAuの誕生も瀬島氏の裁定あってこそ。


それにしても驚くべきは、瀬島氏の大本営参謀として用いていた思考法。


戦略コンサルティングで叩き込まれた思考法というのも、瀬島氏が士官学校で叩き込まれ大本営参謀で実践していたものと全く同じ。結局、軍隊であろうが企業であろうが幹部の行うことは意思決定であり、良質の意思決定をスピーディーに行うためにどうすべきかということについて、80年前も現代も大きく変わっていないのだということを実感させてくれる。


米国におけるアンダーセンコンサルティングアクセンチュア)の躍進の陰においては、ウエストポイント(士官学校)出自の会計士、コンサルタントの存在があったことは聞いたことがある。一方で軍隊のない日本においてはこうしたことを聞いたことは全くなかった。だが、瀬島氏の活躍を見るにつけ、戦略的思考法というものは日本軍においても行われていたものであるし、米国の専売特許ではないのだと思う訳なのである。


戦後の日本においては軍隊を持つことは認められず自衛隊となり、士官が民間企業に転じ成功した事例というのもあまり聞いたことがない。もし、そうした例が多ければ現場一流経営二流という状況も早々に変わっていたのかもしれない。