Homare's Diary

組織人事コンサルタントの徒然日記です

50代の肖像

前回の緊急事態宣言の巣ごもり生活では、宮本輝さんの『流転の海』9部作を初作から読み直しした。50歳にして子供を授かり、戦後の混乱期を生きる松坂熊吾の姿には改めて感じ入るものがあった。それは、主人公の年齢に自分が重なるところがあったからだと思う。

 


平均寿命が60代の戦後期の50歳といえば、人生の終盤という捉え方もあったはず。とはいえ彼にとっては子供が二十歳になるまでは生き抜いていく、生きていかなくてはならないという覚悟があった。

 


熊吾は優れた嗅覚と商才を発揮して事業を興していく。だが、信頼する人間からの裏切り、予期せぬ天災などで何度も煮え湯を飲まされる。だがその度に捲土重来を期して立ち上がっていく。人間何歳になろうが、覚悟とバイタリティをもって全知全能を活かせば、何度の挫折や失敗も乗り越え、新たな事業を興していけるのである。時にアバンチュールも。

 


今の時代となっては、50代などというのは肉体的な年齢も当時より遥かに若く、まだまだ人生の中盤。こじんまりと可能性を限定していく必要などないわけです。

 


とはいえ、サラリーマンとして牙を抜かれた今の50代は、松坂熊吾のような覚悟もバイタリティも残ってはおるまい。若い女性と火遊びをしたいという欲は残っていたとしても。

 


今度の非常事態宣言では宮崎豊子さん『不毛地帯』を読み直している。シベリア抑留という苛烈な生活を10年もの間過ごし、47歳という年齢で伊藤忠商事に入社した瀬島龍三をモデルとした小説。

 


10年間という『不毛』な時間を過ごし、50歳にさしかかろうとする人間ができることとは何か。

 


基本的には年齢というものは人が物事を行っていく上では一切関係がないのだということをここでも教えてくれるはず。消化試合だなんて定義はあり得ないということをね。