彼はある相談を受ける機会があった。
自分たちが内製化で作り上げてきた幹部社員向け研修は、もはや時代に即したものではなく、何より運用をし続けていくことが現実的に厳しい。見直していくにしても、全体観や他の研修との整合性も考慮しなくてはいけない。
そもそも、自分たちの会社は社員のその殆どが専門職であり、ラインマネジメントをキャリアパスとした通常の人事制度や階層別教育とは一線を画している。このため、見直しに向けた参考になるようなものが何もない…
どこに問題があるのか、どう整理して見直していけばいいのか手がつけられないでいる。全体の階層別教育体系と研修コンテンツの見直しに向けたコンサルティングを引き受けてもらえないだろうか…と。
彼においても当てになるような経験、事例をズバリ持っているわけではない。でもどこに問題があるのか、深く考えていけば何とかできるのではないかという目算もあった。だが、いかんせん多くの案件を抱えて時間がない、メンバーの当てもつかない。いっそのこと降りてしまうという選択もあった。
だがそうはしなかった。かなり制約がある状況だがそれでもいいなら…ということで案件を引き受けることになった。引き受けてしまうとトップクラスの会社で要望は厳しい。かといって金額はさして大きくはない。でも、自分を成長させる未知なる冒険プロジェクトと位置付けて取り組んだ。人事制度構築などはデジャヴも多いから。
だが実際始まってみると想像以上の試練のプロジェクトだった。
打ち合わせを入れる時間の余裕がどこにも持てない。前の打ち合わせが遅れると、そのクライアントのアポにはどうしても間に合わない。クライアントは、多忙であることを承知で頼んだので気にはとめなかった。
だが、要件を整理する知見を持ったスタッフはいない。何とか入ってもらったスタッフにおいても知見が足りないから十分に裁けないし、そもそも責任者が遅刻を繰り返す状態はいかなるものか、という不満だけが社内に漏れ伝わることになった。このプロジェクトが開始された背景を知らないのだから、それも仕方のないことだ。
そうなると彼は全部抱え込んでやるしかない。他のプロジェクトが見れなくなる。引き受けた案件を投げ出すわけにはいかない。完全なる負のスパイラルだった。
爪に火をともすように一つ一つパズルを解き、新たな研修体系の地図と研修コンセプトができあがった。クライアントはとても喜んでくれたが、彼は社内では酷評された。モラルに欠けるし採算性も悪いのだという。
とはいえコンサルティングフェーズは成功裡に終了。彼は新たな研修の開発、実施を一手に任せてもらえることになった。
『ここまでやってくれたのだから、あなたと心中ですよ…』クライアントはそう彼に声をかけてくれた。
彼の苦悩や現場で残したアウトプット、そこに対する評価を一切見ず、想像でモノを語る社内の評価にどれだけ意味があるのだろう。
・プロジェクトは会議室で起きているのではない
・プロジェクトに大きいも小さいもない
踊る大捜査線の名セリフが彼の頭によぎる。
青島の上司である室井はこう言っている。
「責任をとる。それが私の仕事」
「俺は教えられた。組織に生きるものには信念が必要なのだ」
こうした上司のバックアップを受けた青島はこうつぶやく。
「リーダーが良いなら、組織も悪くない」
彼は思うのだ。これとは真逆の扱いをされたら、一体どういう態度をとるのが正解なのだろうか…と。