組織・人事のコンサルティングにおいて、人事制度設計を行うことがある。その中で未だに違和感があるのが、等級制度に合わせた昇格要件や管理・専門系の分化をさせる定義をもって『キャリアパス設計』と称する点だ。
キャリアを専門とする人間からして、こんなものはキャリアパスでも何でもない。ただの昇格要件と昇格ルートに過ぎない。なぜなら、等級制度とは偉さの基準にすぎないから。
実際に等級の途中で止まってしまう人が多い中で、一部のトップだけが歩める道(パス)に『キャリア』なんて名付けるべきではない。なぜならその発想はおおよそ外的なものであり、外的キャリアの視点しか持ち得ない仕組みに今どきにおいても『キャリア』という名称を何の疑いもなしに使うのは、古くさいとしか言い様がない。
本来のキャリアパスとは、定年までの枝分かれの現実を個人に見せて考えさせるものだ。管理・専門という枝分かれのみならず、万年一般職や役定、再雇用といったダウンサイドまで見せて考えさせるもの。
だから、ピラミッドの等級制度のパラダイムをキャリアパスだと称して疑わない人事コンサルは、人の感情やキャリアというものを分かってないな…と思ってしまうのである。